真の人と出会って心の解放へ

心の解放へと導いてくれる真の人(本)との出会いの記録。(毎田周一「釈尊にまのあたり」他 聖徳太子・親鸞・宮沢賢治・・・生きてる人も)

知識・学問・思想などには染まらないで、生命の流れそのものとなる。

必要なのは直観からくる真理の認識だけ

~老衰の経より⑥~

812-9

蓮の葉の上で水滴が 

蓮の華の上で水が 染まらぬように

それと同じく静かな人は 

知識にも学問にも思想にも染まらない

 

813-10

清らかになった人は 

知識や学問や思想を 

これがなければなどとは考えない

彼は他のことによって

清らかになろうとは思わない

何故なら彼は貪ることにも 

貪らぬことにも 

共に執着していないから 

 

 静かな人、清らかな人は、

知識や学問や思想を必要とはしない。

 

それらは人間が考え出したもの。

限られた頭で考え出した想定的なもの。

 

それらは私たちを、

世間から解放するというよりも、

むしろ世間へ縛りつけてしまう。

 

それらに捉われない、

清らかな人の救いは、

真理の認識だけにある。

 

それは一切の知識・学問・思想などの

他のことは交えずに、

真理から直接くるもの。

 

その直観こそが生命そのもの。

 

そしてそれは固定して摑むことはできない。

常に流れている無常なもの。

 

そこに他のことを交えてしまえば、

透明な水としての真理は濁ってしまう。

 

他のことに染まってしまう。

 

真理そのものに、

ああだこうだと一定の考えを交えて、

善悪や真偽の判断や評価をしてしまえば、

真理から遠ざかってしまう。

 

生命そのものの行為的直観には、

他のことを交える余地なんてないんだな。

 

貪ることにも貪らないことにも執着しない。

 

貪るなら貪る。

貪らないなら貪らない。

 

花だってそう。

どんな名前で呼ばれようと、

なんと評価されようと、

咲くときは咲いて散るときは散る。

 

生命の自然のありのまま。

 

そういう真理の世界へ直ちに入ることが救いなんだな。

 

ここで老衰の経は終わりです。

 

さあ、人生は限られているんだよ。

生命の流れそのものの中へ

GO! GO! GO!

 

 

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