真の人と出会って心の解放へ

心の解放へと導いてくれる真の人(本)との出会いの記録。(毎田周一「釈尊にまのあたり」他 聖徳太子・親鸞・宮沢賢治・・・生きてる人も)

捉われなければ「嫌う」という感情も起こらない

映しているだけ 決して染まらない

~老衰の経より⑤~

811-8

静かな人は 

どこへいっても捉われがなく 

好き嫌いをいわない

葉の上で水が染まらぬように 

悲しみもねたみも彼を汚さぬ

 

静かな人は

どこにいっても、何にも捉われない。

好きも嫌いもないと言われる。

 

わたしたちは、

好きな人よりも、

むしろ嫌いな人に捉われてしまう。

 

嫌う人を自分の中に見ているんだな。

 

自分の中にある嫌なところを、

誰かの姿で見せられたとき、

嫌だなと思ってしまう。

 

そうでなければ

嫌うという感情は起こらないと言われる。

 

どんな姿もそれはそれとして

ただ生命が流れているだけと見れば、

嫌うという感情はなくなるのかな。

 

そして、静かな人は、

悲しんでもねたんでも、

それは一つの現象として、

そのままにあらしめる。

 

それに染まらない。

 

そこに緑の葉っぱがあっても、

水はそれを映すだけで、

決して緑には染まらないように。

 

汚れがないとは、

そこに起こっていることを、

もっともなことだと

そのままに自由にあらしめることなんだな。

 

慈悲の目で、ただそれを見つめているんだな。  

 

 

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