真の人と出会って心の解放へ

心の解放へと導いてくれる真の人(本)との出会いの記録。(毎田周一「釈尊にまのあたり」他 聖徳太子・親鸞・宮沢賢治・・・生きてる人も)

対象論理としての学問をいくら学んでも、世間に捉われていくだけ。

人間は欲望のかたまりだと知る自覚の道を生き、解放へ向かう。

~杖を取り上げるものの経より⑥~

940-6 

世間では色々の学術を習うのであるが 

そんなものによって

世間へあれこれと縛りつけられるのではなく

抑々欲望というものが何であるかをよく知って

自分というものがすっかり

なくなることをこそ学ぶがよい

 

世の中で学問をする人たちが

どんなに学んでも、自己を知らない限り、

ただ対象論理を学んでいるだけだと言われる。

 

あれはこうで、これはこうで、

こうすればこうなって、

ああすればああなって、

これが正しくてあれは間違いで・・・

 

・・・なんて、いくら学んだって、

それは真理とは何の関係もないことだと。

 

それによって、世間に捉われていくだけだと。

 

勉強するのはいいけど、

それはあくまで参考にとどめて、

それよりも

自覚の道を生きなさいと言われる。

 

自分の道は自分独自の、特有のもの。

 

対象倫理をいくら学んでも、

自分の道にぴったり当てはまることはない。

 

 

自分の道を知るには、

欲望についてよく知ること。

 

人間は欲望のかたまりで、

その欲望によって、ここに存在していることを

よく知りなさいと。

 

それこそが自覚だと。

 

この真理を知ることで、

自分というものはその中にすっかり包み込まれ、

なくなる。

 

この自覚がない限り、

欲望に振り回されている

自分の苦しみに気づくことができない。

 

これは対象論理をいくら勉強しても

明らかにはならない。

 

だから、対象論理の勉強よりも、

欲望によって成り立っている

自我をぶっつぶして、

無我の真理の大海に解放され、

自由の人生を生きることを勧められるんだな。 

 

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