真の人と出会って心の解放へ

心の解放へと導いてくれる真の人(本)との出会いの記録。(毎田周一「釈尊にまのあたり」他 聖徳太子・親鸞・宮沢賢治・・・生きてる人も)

自分を自分でつくった枠に当てはめようとするのも偏見?

広やかな明るい心で

~清らかさの八つの経より⑤~

 

これ、他人事ではなくて、

自分を含めて人間の姿なんだな。

 

792-5

自ら戒律をきびしく守る人は

自分だけの思いに捉われて

思い上がったり卑下したりする

しかし賢い人は深い智慧によって

真理を悟り

広やかな明るい心で 

思い上がりもせずまた卑下もしない

 

自分の中にいろんな規準をもって、

それが絶対正しいと思い込んで、

そこに自分も他人も当てはめて

評価する。

  

思い上がってうぬぼれるだけでなくて、

「わたしって本当に至らない者で・・・」なんて言ったりもする。

 

これは、卑下慢と言われるように、 

「わたしってこんな謙虚な人なんです」とか、

「わたしは、自分の欠点をよくわかっている人なんです」

って自分を主張している

卑しい姿だと言うんですね?

 

そもそも真理には規準なんてない。

それは人間の考えた一面的なもの。

 

聖徳太子も言われた。

「是非之理 詎能可定」と。

「これが正しい」なんていうことを、

だれが決めることができるか?と・・・

 

賢い人は、

無限の真理の中に融け込んでいる。

 

「わたし」という特別なものももたないし、

それを当てはめる枠もないから、

 

「わたし」が枠におさまっているとかいないとか、

一喜一憂することもない。

 

それを広やかな明るい心と言うんだな。

 

 

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