賢い人は論争を離れる。それが煩悩・苦しみのもとになることを知っているから。
論争に勝って得られるものは思い上がり
~パスーラの経より③~
828-5
こんないい争いが道を修める人達の間に起ると
彼等の中に勝つとか敗けるとかいうことがあることになる
こんなことをみてもひとは
論争を離れねばならない
何故ならそこには
ほめられたということの外に
何の利益もないからである
829-6
あるいは又人の集まりの中で
自分の考えを述べて それがほめられると
その人はかねて望んでいた利益を得たのだから
如何にも得意そうに自惚れることになる
830-7
自惚こそは人の苦しみを生み出す土壌である
それなのに彼は愈々(いよいよ)いい気になって
思い上がったことをいう
これを見てもひとは
いい争うことを止めねばならぬ
何故なら賢い人はそんな処に
清らかさがあるとはいわないからである
誰かと言い争って、
どっちが正しいとか、
どっちが間違っているとか、
そんなことはいっさい愚かなことだと言われる。
同じ真理を求める人たちの間で、
優劣があるなんてことは悲しいことだと。
誰かと言い争って、
言い負かすことができたとしても、
そこには自惚れが生じるだけ。
その人はますます得意になって
思い上がったことを言う。
それは苦しみのもとで、
そんなところに清らかさはない。
いつも初心を忘れずに謙虚な人は、
論争から離れている。
そういう人は
人と言い争うことがない。
そういう賢い人こそが
勝利者なんだな。
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