真の人と出会って心の解放へ

心の解放へと導いてくれる真の人(本)との出会いの記録。(毎田周一「釈尊にまのあたり」他 聖徳太子・親鸞・宮沢賢治・・・生きてる人も)

獄中での自由と、外の世界での不自由

どこにいても自由になれる

 

牢獄の中のマ・ティーダさんが、看守から、

「君は自由な人だ」って言われたって。

\(◎o◎)/!

 

「独房でみつめた自由」というNHKの番組でのお話です。

 

不自由な独房にいるマ・ティーダさんが、

自由な外の世界にいる看守から

「君は自由な人だ。」って言われた!?

 

医者で作家、ミャンマー人のマ・ティーダさんは、

ミャンマー軍事独裁政権に抵抗する民主化運動で捉えられて、

6年間の獄中生活を送った。

 

何もない独房の中で、

瞑想して、

自分自身の内面をみつめることによって、

心を解放し、自由になれた・・・

と話されていた。

 

スッタニパータの蛇の経で、

すべてのガーターにくりかえされる言葉。

その修行者は この世とかの世とを共に捨てる

蛇が朽ち古りた皮を脱ぐように

 

スッタニパータの言葉は、

彼岸(自由の地)からの呼び声。

 

それを聞くことで、

一瞬にして、私たちはその自由の地に行ける。

 

何の準備も、何の手続きもいらない。

ただそれを聞くだけ。

 

聞きさえすればいいんだな。

聞くことによって、閃きが起きる。

 

この世のことにばかりに目を向けて、

心を奪われて、

何かを当てにして、

何かをしなければとあくせくしていた自分の立場が、

百八十度転回する。

 

同じこの場所にいながら、

一気に心は自由に解放される。

 

それは段階じゃない。

 

この世で修行を積んでから、

あの世で自由になるとかいうようなことじゃない。

 

がんばればいつか行けるというようなことでもない。

 

何かをすることによるんじゃない。

外の条件を変えることでもない。

 

その状態のことをいっているだけ。

 

この世にもあの世にもなにも当てにしない。

ただあるがままということが、

自由ということなんだな。

 

とらわれるものがなければ、

当てにするものがなければ、

どこにいたって、

自由になれるんだな。

 

そんな自由の人、自覚者が、

私たちにまぎれてどこかにいる。

その人の生の声を聞いてみたい。

なまの言葉に触れてみたい。

それがきっと慈悲なんだな。

 

さあ、自覚者をさがせ!

ウォーリーをさがすより大変かもしれないけど。

( *´艸`)

 

 

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