何をしでかすかわからない、たったひとりの私のために・・・
私のためだったんだ?!っていうひらめき
世間では、いろんな人がいろんなことをしでかす。
それを見て、いろんな立場の人が、それぞれに、
「あれはいい!」
「これはだめだ!」
って、言い合っている。
そうやって、人間は状況によっては、
あんなこともしでかしちゃう。
こんなこともしでかしちゃう。
あんなことも言っちゃう。
こんなことも言っちゃう。
いろんな人が、いろんな姿を見せてくれている。
それは、全部、
私にも起こり得るということ。
どんな悪いことでも。
もし、起こってないとしたら、
それは、私がりっぱだからじゃなくて、
ただ、そういう状況にないというだけ。
その複雑に組み合わさったいくつもの縁が、
同じように重なれば、
同じことをしてしまうんだな。きっと。
そんな愚かさが自分にだってあることを知ったら、
もう他人事ではなくなる。
そんな私たちをなんとか救おうとしてくださった、
お釈迦様の願いが、
こうして今ここに、スッタニパータという経集になって、
私のもとに届いてきた。
長~い長~い年月をかけて・・・
聖徳太子の願いも、
親鸞聖人の願いも、
宮沢賢治の願いも、
毎田周一先生の願いも、
その他にも、きっときっと私の知らない、たくさんの人たちの願いも、
あっちから、こっちから、
みんなみんないっしょになって、
届いてきた。
ず~っと、ず~っと、知らなかったよ。
ず~っと、ず~っと、気づかなかったよ。
自分には、まるで関係ない、
別世界の話だと思っていたよ。
でも知ってよかったよ!
だから、私だって、これを、
真理を求めて止まない誰かのもとに、
届けるお手伝いがしたい。
そんな私みたいな、たったひとりの誰かのために。
ただ聞き流して、ただ字面だけを読み流して、
ああだこうだ言う人じゃなくて、
これを、
「私のためだったんだ?!」
って、ひらめきとして受け取ってくれる、
だれかのために。
親鸞聖人の口癖
「弥陀の五劫思惟の願をよくよく安ずれば、
ひとえに親鸞一人がためなりけり。」
(歎異抄より)
親鸞聖人も、このスッタニパータを読まれたら、
どんなに喜ばれたことかな?
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