何がしあわせかわからない・・・人々の本当の幸福を求め続けた宮沢賢治さんの童話
透き通ったものにだけ触れていたいから
宮沢賢治さんの童話にどっぷり浸った。
透き通ったものだけに触れていたいから。
宮沢賢治さんという人は、
人のしあわせのためなら、
なにをしてもかまわない人なんだな。
そんなことを、感じた文を引用します。
(自分の働きが、不作から農民を救う場面で)
もううれしくってはね上がりたいくらいでした。
もう自分が誰なのか、何をしているのか忘れてしまって、・・・
(グスコーブドリの伝記より)
誰だって、ほんとうにいいことをしたら、
いちばんしあわせなんだねえ。
この人がほんとうのしあわせになるなら、
自分があの光る天の川の河原に立って
百年つづけて立って鳥をとってやってもいい
ぼくはその人のさいわいのために
いったいどうしたらいいのだろう
ほんとうにみんなのしあわせのためならば
ぼくのからだなんか百ぺん灼いてもかまわない
けれどもほんとうのさいわいとは
一体なんだろう
きっとみんなのほんとうのさいわいを
さがしに行く
何がしあわせかわからないです。
ほんとうにどんなつらいことでも
それが正しい道を進む中でのできごとなら、
峠の上りも下りもみんな
ほんとうの幸福に近づく一足ですから。
(銀河鉄道の夜より)
あふれるようにさらさらと書かれた文章は、
宮沢賢治さんの生命そのものなんだな。
人間の世の中には、
これを「偽善者」と批判する人もいるのかな?
最後にこんな文章を見つけた。
本当にもう、どうしてもこんなことがあるようでしかたないということを、私はそのとおり書いたまでです。
ですから、これらの中には、
あなたのためになるところもあるでしょうし、
ただそれっきりのところもあるでしょうが、
私には、その見分けがよくつきません。
なんのことだか、わけのわからないところもあるでしょうが、
そんなところは、私にもまた、わけがわからないのです。
けれども、私は、これらの小さな物語の幾きれかが、
おしまい、あなたの透き通った本当の食べ物になることを、
どんなに願うかわかりません。
(生前刊行「注文の多い料理店」序文より)
私たちは世間にいて、
見たくない姿をたくさん見てしまう。
聞きたくないことばをたくさん聞いてしまう。
本当は、こんな、透き通ったものにだけ触れていたいな。
私は。
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