真の人と出会って心の解放へ

心の解放へと導いてくれる真の人(本)との出会いの記録。(毎田周一「釈尊にまのあたり」他 聖徳太子・親鸞・宮沢賢治・・・生きてる人も)

誰かを、何かを、当てにするのも、利己心からくる支配欲?

欲=支配=無知と知ること

 

私たちをとりまく関係・・・

家族、親子、夫婦、師弟、友だち、恋人・・・などの関係に、

お互い何も当てにしない関係なんてあるのかな?

 

利己心・支配・服従・偽り・怒り・謗り・・・から離れた、

真に自由な関係が、

どれほどあるんだろう?

 

そんな関係実現できるかな?

 

犀の角の経からです。

56-22

欲を離れ 偽りなく 

渇くように求めることをやめ

人を謗(そし)らず 根源の無知を除き去り

すべて世間の外物に頼らぬようになって

犀の角のようにただ一人歩いてゆこう

 

欲(利己心)を満たすためには、

人を思い通りに動かさなきゃならない。

 

でも、人は簡単に思い通りになんか動いてくれない。

ここで「どうして、言うことを聞かないんだ!」と謗る

 

または、なんとか思い通りに動かすために、

いろいろ計らっちゃう。

 

そこに偽りが出て来る。

悪く言っちゃえば、人をだますことになる。

 

人をだますということは、

本当の自分とは違った言動をすることだから、

自分も欺くことになる。

 

そうやって何が何でも

自分の利己心を押し通そうとしちゃう。

 

自分の利己心のために、

人を支配するなんて、

本当はとんでもないことなのに、

それが当たり前にできると思い込んでいる。

 

私たちにはそんな妄想がある。

それに気づかずやっている。

 

これが「根源の無知」なんだな。

 

この無知に気づくには、

自覚者のことばを聞いて、

内省するしかない。

 

世間の外物に頼らぬ独立者として、

自由に生きるには、

その無知に気づいて、

その無知をはらうしかない。

 

何も当てにしないのが真の独立者。

 

死を物ともしない彼こそが、

自己生命の尊厳に立つことができるんだな。

 

 

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