世界が全体幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない?
古い聖者の踏みまた教えた道
きょうも宮沢賢治の本を読んだ。
あっちからもこっちからも、
切々と聞こえてくる叫びは、
私には、
お釈迦様の声と、
聖徳太子の声と、
親鸞聖人の声と、
毎田先生の声と、
ぜ~んぶ重なって聞こえる。
ぴったりと!
これを聞いたら、
黙っていられない。
私だっていっしょに叫びたくなっちゃう。
世界が全体幸福にならないうちは
個人の幸福はあり得ない
自我の意識は個人から集団社会宇宙と
次第に進化する
この方向は古い聖者の
踏みまた教えた道ではないか
新たな時代は世界がひとつの意識になり
生物となる方向にある
正しく強く生きるとは
銀河系を自らの中に意識して
これに応じて行くことである
われらは世界のまことの幸福を索ねよう
求道すでに道である
(「農民芸術概論綱要」より)
古い聖者の踏みまた教えた道は、
特別な人たちのための道じゃない。
遠い昔の話でもない。
遠い国の話でもない。
関係ないことじゃない。
私たちのこと。
今ここにあるこの世界のこと。
どうしてしらんぷりできる?
古い聖者っていうのは、
誰もが知っている歴史上の偉人たちのことですね?
でも、
その踏みまた教えた道を
本当に歩いている人は、
一体どこにいるのかな?
みんなでいっしょにその道を歩ける日は、
一体いつ来るのかな?
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