思い上がりも卑下もしない、広やかな 明るい心で
起こっていることは、ただの現象。特別だけど、特別じゃない
~清らかさの八つの経より~
認めてもらえると、思い上がる。
認めてもらえないと、落ち込む。
そんな毎日。
結局、キョロキョロおどおどしてるんだな~
まあ、いいか~ (-.-)
じゃあ、きょうはこれを読もう!
清らかさの八つの経からです。
792-5
自ら戒律をきびしく守る人は
自分だけの思いに捉われて
思い上がったり卑下したりする
しかし賢い人は深い智慧によって真理を悟り
広やかな明るい心で
思い上がりもせずまた卑下もしない
真理というのは、ただそこに、
起こっている現象なんだな。
自分の思いに捉われないで、
ただ真理を見ている、賢い人は、
みんなにチヤホヤされて、
「私って、なかなかやるな~」なんて、
思い上がることもなければ、
思うような評価を得られずに、
「私って、なにがいけないんだろう?」なんて、
卑下することもないんだな。
起こることは、いろいろな原因や、
いろいろな条件や、いろいろな要素が、
いろいろに組み合わさって起こる。
だから、そのひとつひとつは、特別かもしれないけど、
どれが特に特別ということはないんだな。
それは、起こるべくして、ただ起こっている、
ひとつの現象。
テレビを見ながら寝ちゃうのも、
お餅を食べすぎて、おなかが痛くなるのも、
花が咲くのも、枯れるのも、
カメムシがおならをするのも、
風邪をひいて、鼻がつまるのも、
テストで、30点しかとれないのも、
かけっこで、一番になるのも、
音楽を聴いていたら、涙が出てきちゃうのも、
誰かを好きになるのも、嫌いになるのも、
怒ったり、泣いたり、争ったりするのも、
読書をするのも、思いを言葉にするのも、
みんな、みんな、
いろ~んなことが組み合わさって起こる、
ひとつの現象。
これは、すばらしい現象・・・💮
これは、まあまあ・・・・・・〇
これは、いまいち・・・・・・△
これは、全然ダメ・・・・・・✖
こんなふうに評価するのは、
世間の常識と言われていることとか、
他人に、認められたか、認められないかとか、
自分の信念とか、都合とか、気分とか、
自分の中の勝手な何かを、基準にして、
一面的なものさしで計っているだけ。
真理の側からしてみれば、
これは、特別すばらしい!ということもないし、
これはダメ!ってこともない。
ただ、起こっているだけ。
「こんなことしても、無駄かな?」とか、
「こんなことしなきゃよかったかな?」とか、
「私、どう思われてるのかな?」とか、
くよくよこせこせするのは、
少しでも「よいこと」をしようとか、
「認められよう」とか、
「💮のことだけしたい」とか、
余計なことを考えるからなんだな。
何を考えようと、何をしようと、
いいか悪いかなんて、わからないんだから、
思ったままにするより他ないな~
「是く非しきの理、たれかよく定むべき」(第十条・第五句)
「これが正しい」とか、「これは間違っている」とか、
誰が決めることができるんですか?って・・・
そうだった、そうだった!
自分のまわりの、ほんのせまい世界しか知らないのに、
まだ知らない真理が、海ほども、宇宙ほどもあるのに、
なにかわかったような気になって、
「これが正しい」とか、「これがまちがってる」とか、
そんなのは、こっけいなことだな。
もう、なんにもわからないなりに、
ただひたすら思うままにいっちゃうしかない。
それで、もしも、誰かに批難されたら、
なんだかわからないけど、
「変なことして(言って)ごめんなさい」(m´・ω・`)m
って、頭を下げるしかないや。
そして、広やかな明るい心で、サバサバいきたいです。
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