時間が癒してくれた傷はいつか宝物になる
昨日の坂爪圭吾さんのnoteで紹介されていた、「宇宙の大きさを体感できる動画」というのを観て、宇宙のことを考えながら、のんびり休日を過ごしていたら、なんだかふわふわとした変な感覚になった。
そして、ふと思った。
「もしかしたらこれ、誰かの夢の中かも?」
宇宙の広さを思ったら、自分や自分の人生があまりにちっぽけすぎて、はかなすぎて、私のこの人生、誰かのたった一夜の夢の中の出来事みたいなもんだ・・・とか思ってしまった。朝起きたらあんなこともこんなことも、すべて終わっていて、「あ~面白かった!」って言って目が覚める。
そんなふうに考えていたら、なんだか可笑しくなってしまった。
何かあるたびに、そのときは不幸だと思っていた経験も、今の幸せにつながっているんだ~!とか、失敗を恐れずに挑戦したら、きっと大きな力になるんだ~!とか、自分に言い聞かせながら一生懸命乗り越えようと、日々生きている自分。まだまだ今日も夢の中だ。大丈夫!
そして考えていくうちに・・・だからって、
「最初から、不幸になりますように!って思いながら努力する人っていないよな~」
「失敗することを目標にかかげて何かに挑戦する人もいないよな~」
なんて、当たり前のようなことを改めて思ったりした。
だったら、不幸なことも、失敗も、すべて天からのギフトだね!
わたしは、小中学校でいじめにも遭ったし、大切な人と離婚もした。お金を持ち逃げされたり、無一文になってホームレスにもなった。こんなに怖い目に遭ったこともあれば、毎夜泣くほど不妊に苦しみもした。でも、そのすべてが、今となってはどれも良い思い出になりつつある。自分の人生を彩ってくれた、貴重な経験だと思える。人生には時間というものがあって、それはそのすべてをやわらげ、五感の記憶の生々しさをそのままにプリントしながらも、そこから離れていられる優しい場所を作り続けてくれるのだ。
辛すぎることがあったり、何日も答えのみつからないことで悩み続けて疲れてきたりすると、なんだか呆然として自分が遠くなるような気がすることがある。
「え?いいの?こんな目に遭っているのに、自分放っておいていいの?」みたいに、辛い自分から幽体離脱するかのように・・・
ひどく辛いときは、初めはご飯が食べられないとか、眠れないとかいう状態になって、
場合によっては、人とも普通に接することもできなくなる。
そのうちに、だんだんご飯を食べられるようになって、「こんなに悲しいのにご飯がおいしいなんて」って思ったり、普通に眠れるようになって、朝も普通に目覚めて、「あれ?そういえば、私、今辛いんだった。なあんだ、普通に寝て起きてるじゃん?」とか、誰かに声をかけられて笑顔で応えている自分に、「なあんだ、笑えるじゃん?」とか思うようになってくる。
今このときに辛い人へ、時間というものの優しさがそれを分解してくれますように。自分で頑張って忘れようとしなくても解決しようとしなくても、時間の作用がそこに働き続けていることに、力を抜いて委ねられますように。
「自分で変えなくていい、時間任せにしよう」そう思っていいこともあるのだと、どうか知っていてくれますように。
そして、またしばらくすると、ずっと胸いっぱいに広がって苦しかったもやもやが、少しずつおさまってきて、だんだん一つの小さな塊になってくる。それは決してなくなりはしないんだけど、ズシンと心の隅っこに落ち着いて、自分を見守ってくれるようになる。
いつかはそれも、生きた証・・・どんなことだって、自分に落第点をつける材料にしなくたっていいのだと思う。時間よ、あとは頼んだよ。そう思ってみるだけでも、なんだか救われるね。。
傷は癒えるんだな。癒えた傷はいつか大切な宝物になる。
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