真の人と出会って心の解放へ

心の解放へと導いてくれる真の人(本)との出会いの記録。(毎田周一「釈尊にまのあたり」他 聖徳太子・親鸞・宮沢賢治・・・生きてる人も)

「嫌われる勇気」は静かな覚悟

こちらの記事にはとっても考えさせられる。

何度も読んじゃった!

 

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・わかってほしいことを口に出すべき、これって本当にそうだろうか?なんだかいかにも正しく聞こえるけれど、相手に「わかってほしい」と思ったときは、往々にして自分で自分のことをわかっていないときだ。それを他者に向かって言っても解決しないよ。

 

勇敢に戦っているつもりでも、だいたいこういうときって、わかってもらおうと、言葉を重ねれば重ねるほど、どんどんこじれて、「こんなに言ってもわからないなんて・・・」ってなるな。

 

・人はわかり合ったりはできないよ。みんなどこまでも、それぞれの宇宙にいるんだから。わかり合えるはず、わかり合うのは良いこと美しいこと、という強固な思い込みがあるから余計な期待と失望が生まれる。

 

夕べ聴いたBTSの『小宇宙』という歌の歌詞にもあった!

♪1人にひとつの歴史 1人にひとつの星 70億個の光で輝く 70億種類の世界 ♪

別々の歴史をもって、別々の世界に生きる他者とわかり合えるなんて、妄想なんだな。

 

・「人にどう思われるかを気にせず、思ったことはなんでも正直に口に出そう」っていうのができない、って・・やれたらおかしいでしょう。「あなたブスですね」「そんなに財布に金入ってるなら俺によこせよ」「こいつのおっぱい触りてえ~」などと口に出せば良い生き方だと本当に思っているのだろうか。心配になるレベル。。。

 

確かに怖い・・・っていうか、そんなの無理だ。

そもそも思った瞬間に、それ口に出したら相手がどう思うかを、自分が直感的に体験してしまって、嫌な気分になっちゃうから、いくら言えって言われたとしても無理かも。

 

・湧いてきた感情は、決して他者にぶつけるためにあるものではないはず。だから、何でもかんでも他者にぶつけるなんてこと、選ばなくていいんだよ?頼むよ・・・・

 

・・・ですよね?・・・そうでした! 

 

・口に出すことばかりに重要性を見出している人が多いけれど、口から出さずに引っ込めることの重要性はあまり語られない。いつも感情に任せて言いたい放題言いすぎて問題を作ったり人間関係を壊したりしてしまう人は、一旦黙ってリラックスしてじっと感じてみるのも手だ。。

 

その湧きおこった感情を抑えようということではないんだな。

自分でその感情をじっと見つめてみることをせずに、口に出して相手にぶつけてしまうのは、かえって本当に伝えたいことを伝えにくくしてしまうことだってある。

だいたい戦闘モードになっているときは、とにかく自分をいかにアピールするかに意識がいっていて、状況がよく見えていなかったりする。

 

・上のようなことを書くと、口に出さないから本音がわからないんだと思います、というコメントが必ずつく。本当に人は「口に出さなければ、本音はわからない」のだろうか。「言った、言わない」に重きを置きすぎだと思う。黙って行動パターンを変えること、少しずつ欲しいものを自分に与えていくこと、嫌なことを徐々にやめること、瞑想などで自分を見つめる時間を重ねること、楽しみに没頭すること、身体をもっと動かしてみることなど、色んな方法がある。

 

わあ~、こんなに対処法がたくさん・・・実行できそうな・・・

あと、誰にも言えないことで悶々としてしまうときは、自分と対話をしたり、書いてみたりすることで、「あ~それで?そういうことかい?」みたいに意外な自分の本音が見えてきたりすることもある。

 

・そもそも「本音は言いにくくても言おう」というのがおかしくて、言いにくい以上は本音じゃない。相手が傷つくだろうけど言おう、というのはそこに勘違いがある。その発想ってすごく自暴自棄で、傷つけちゃえ、嫌われちゃえ、それができるってすげえ!って無茶苦茶である。それを「無茶苦茶でいい」「そんな俺を愛していく」と美化するのはズレているのでは。その前に他者をなんだと思っているのだろう。

 

「本当はこんなこと言いたくないんだけど・・・」みたいに前置きして言っちゃうこともあるけど、「なら言わなきゃいいじゃん?!」って自分に突っ込まれる。「あなたのためを思って言いにくいことを・・・」とかいうのも、「それ、一番うざいやつ!」って思う。そうか、言いたくないなら、「言いたくない」が本音だもんね?

それに「これは言うべき!」「言えるのがかっこいい!」という、どこかからもってきた価値観を自分に当てはめて、無理している姿は、どこかぎこちなくてカッコ悪い。

 

・「あんた見てると気分悪いわ」といえば相手は傷つくけれど、そもそもそのときの自分の本当の本音は「わたしはあなたを見ていて勝手に傷ついて嫌な思いをしてしまいました」などというものであって、それで相手は傷つくだろうか。人に「相手を傷つけてまで本音を口に出して言え」と誘う人は、自分が傷ついているのさ。。

 

うふふ・・・なるほど、自分が勝手に傷ついたり、嫌な思いをしているだけなのに、それを相手にぶつけても、ぶつけられた方はたまったもんじゃないな~。

 

そもそも「本音を言う」とか、「自分の気持ちをちゃんと伝える」というより、「相手を傷つけることで、傷ついている自分を少しでも救いたい。」とか、「優位に立ちたい。」といったところが真の本音だったりするんだな。

 

・自分の感情に思考が入り込んで癒着していて、自分が騙されているのかも知れないよ。だからそれを使ってみるまえに落ち着こう。あえて感情のままに人を傷つけて嫌われてみた、それを勲章のように言うのは幼稚なこと。

 

そうか~!欲しいのは勲章だったんだ~!そういうことか~!

 

・わたしはこうして欲しい、わたしはこれをして欲しくない、ということをちゃんと伝えていくのが良いのだと思う。でも、いちいち嫌われ前提、争い前提、である必要はないじゃないか・・・
「もしそれによって嫌われることがあったとしても、それを受け入れよう」という心構えがあると自分を偽らずに済む。それはとても良いけれど、そのためにはじめから他者に対して好戦的である必要はゼロだ・・・

 

これはこれは、とても納得できる!ヽ(^。^)ノ

伝えたいことをちゃんと伝える勇気のことですね?伝わるかどうかはあちら側のこと。伝えたいことを誠意をもって伝えたら、あとは相手がどう受け止めるかは相手に任せる。そこに初めから身構る必要はないのだな。ただただ誠実であることだな。

 

・『嫌われることをいくらでもできる傍若無人な人、というアイデンティティを着て、それを演じることで自分を強く見せようとしたり偽りの自尊心を補おうとすること』と、『できることなら仲良く楽しく居たいけれど、本当の望みを伝えたときに嫌われたり離れたりすることがあっても、それもまた大丈夫、と自分を受け入れていること』との差を見極めよう!

 

うわ~、自分でよくよく考えて、かみ砕いてから読んだら、最初読んだときより、とてもスーッと入ってきた!

 

というわけで、嫌われる勇気って、ちっともアグレッシブになろうということではなく、自分に嘘をつかないという、自分に優しい静かなる覚悟だと思う。それから、本音ってそんなにカッコいいものじゃなくて、ほとんどの本音はみっともないものだよね(とくにわたしはそうです、笑)

 

「嫌われるのなんか恐れるな!どんどん言っちゃえ言っちゃえ!」ではなくて、

「もしも万が一嫌われたとしても、自分に正直になった結果だもの。」という静かな覚悟があるかどうかですね?

心でつぶやいたこと、全部口に出してたら、やばすぎる!

どうして本音で語らないの?って自分にときどきイラつく私は、この記事を読んでちょっと安心しました。

 

 

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