真の人と出会って心の解放へ

心の解放へと導いてくれる真の人(本)との出会いの記録。(毎田周一「釈尊にまのあたり」他 聖徳太子・親鸞・宮沢賢治・・・生きてる人も)

対立してきたものがひとつに溶け合い始めるとき

 引き続き『そうだ魔法使いになろう!』(吉本ばなな×大野百合子)を読んでいる。

 

この方たちの気づきが半端ない。日々いろんな壁が取っ払われて意識はどんどん広がっていくのを感じる。そういう方の文章に触れているだけで、自分もそこへ向かってどんどん進んでいけるような感覚が生じる。だから毎日新しい記事を読むのが楽しみ。

 

前回も書いたけど、この本の中に、「今は、二元だった意識が一元に向かっているとき」というようなお話があって、このことに私はとてもわくわくしている。

例えばちょっと引用してみます。

 

生き残るために安全を確保しようとしてきた肉体側の意識が、魂側の意識とちゃんと交流し始めると、時間と空間のない世界を生きている「魂の視点」も、なんとなくですが、体感できるようになってきます。私が求めてきた実感です

そうなると、自分以外の人々や、森羅万象の意識がつながりあっている情報ネットワークに完全に接続できるので、自分も相手も大きな一つの存在のそれぞれ独立した側面であることがわかってきているのが「今」なんです。

別の言い方をすれば、過去と未来を隔てている境界線や、見える世界と見えない世界を隔てている境界線がゆるく、溶け始めていると言ってもいいかしら。

 

私はたぶんバカがつくくらいの勘違い人間なので、日々、「自分これでいいの?」「これで合ってる?」「おかしなこと言ったりやったりしてない?」みたいなことをどこかで思っている。でも、そこにハマってしまうと、怖くてなにもできなくなってしまう。ハマりそうになったときは、「私は世界一の勘違い人間!知らずに変なこと言ったりやったりしていたらごめんなさい!あしからず。」 と心の中で世の中にあやまってから自分を納得させてやる。まだこんななんです。

 

でも、気分はどうかというと?いいです!とっても!!

 

もう、このなんでもありな感じ。どこまでも広がっていく感じ。すべてが繋がっていく感じ。それがどんどんどんどん広がって、宇宙にまで広がっていく感じがとてもいい。

それには、自分を思い切り生きることしかできることはないなと・・・

 

こうして壇珠さんの文章を読んだり、吉本ばなな×大野百合子のお話を聞いていると、こういう方たちはいつの世にもわずかながらいらして、いつもいつもなんらかの光を放ってこられたんだなと思う。ずっとずっと遠い遠い昔から。それに気づいた人は自分も光になろうとする。いやすでになっている。でも、まだまだその光は弱かった。

 

ところが、今、わたしの周りでは、いよいよその光がだんだん繋がり始めて、どんどん広がりつつある。対立してきたものが少しずつひとつに溶け合い始めている。そんなことを自分の感覚を通して日々感じている。

 

壇珠さんの記事には性差の間の壁が取り払われたことが書かれている。

これもまた、ひとつ繋がったお話ですね?

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しばらく前にこの「それぞれ別の姿形だけどこれがわたしら地球人です感」がとてもリアリティを持ってきて、あるとき男女の間に自分が気づかずに持っていた透明で薄い「別のもの」という枠を突然にして破壊してしまった。

 

 

「わたくし共人間はですね、男性型になるとこのように筋肉が発達し体毛も多くなり生殖器官も違った形になりましてですね、わたしは今回たまたま女性型なんですが、これが我々です!もう、もはやどちらの型もわたし自身です!」みたいな・・いや本当はもっと男性の型のことを他人事には思えず、とても愛しく思える感覚なのだけれども、なかなか文章にするのが難しい。とにかく、この気づきもしていなかった透明なものが壊れたあとの新鮮な感覚は嬉しいものだ!

 

 

そして、これは非常に怪しい人に見えるわたしの妄想なのだけれど、地球にもこうして地球人全体に仲間意識があって、地球外生命体に対して「地球人ですよろしく~~!」みたいな気持ちになっている者がいるのだから、もしかしたらあちらにだって、彼らの中の発信システム(互いの考えをやり取りするSNSみたいなもの)があって、『なんか俺地球人にも仲間意識あるわ~』『なんならあちらにも、俺らと会ったことなくても仲間だと思ってくれてるやつがいたりして!!』などと思っている個体がたくさんいるのかもしれない。

 

 

神さま、天才です!!性別を創られたその発想、天才です!!の気持ちでいっぱい。男女が違うからこそ、そこに生み出されるありとあらゆるドラマの多様さ・・・情愛も、性欲も、寂しさも、切なさも、恋しさも、それらを味わって統合していく至福も静けさも、性別があってのことだ。
そう思うと改めて、異性を求める気持ちが強烈なのも、自然なことに思える。恋が実るときの浮足立ちよ、愛する者への情熱よ。いいよな恋、いいよな性愛、いいよな性欲!と思う。
美しくてかわいい人間の姿。こんなに素晴らしい生物になってみることができて、本当によかった。

 

文章にするのって難しい。

この感覚をどうやったら表現できるんだろう?って思うと、言葉というのは限られたものだなと思う。どんなに駆使しても、なかなか表現しきれない。でも、やっぱり感動したことは溢れてしまうし、誰かに伝えたくなってしまう。繋がりたくなってしまう。溶け合いたくなってしまう。他の誰かに伝わらないとしても、とにかく外に一回出してみて、もう一度自分自身でこの目で確かめてみたくなる。それがなんか楽しいんだな~!

 

 

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