真の人と出会って心の解放へ

心の解放へと導いてくれる真の人(本)との出会いの記録。(毎田周一「釈尊にまのあたり」他 聖徳太子・親鸞・宮沢賢治・・・生きてる人も)

自分の意識を超えたところにとてつもない自分がいる?

 

普段のわたしたちは、自分へ持っている評価を自分で知らないことが多い。
他者のことは、外から眺めて「おしゃれだなあ」とか「ブサイクだなあ」とか、いくらでも好きなことを思えるものだが、自分については自意識が強く働いて、なかなか客観視することができない。

 

 

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 自分の姿が自分で見えないのは、恐ろしいことだ。

他人のことはいくらでも思う。

今日も、他人に対して攻撃的で、自分の非は絶対に認めようとしない人に、ちょっとだけそれを指摘したら、「わたしはそんなことない!」と反発されてしまった。この人、自分の言ってることわかってるのかな?支離滅裂じゃん?録音して聞かせてやったら少しは気づくかな?とか思ってしまった。

でもそんなとき・・・他人を批判的にみているとき・・・ひょっとしたらひょっとして・・・?ぎゃ~怖い!当然「わたしはそんなことはない!」と思い込んでいる。おんなじ台詞じゃん?!

「自分に対して自分で持っている評価なんて、自分でわかってるさ!」と思ってしまいがちだが、それはちょうど自分で録音した声を聞いたときに自分の声に意外性や嫌悪感を感じるのと似ていて、自分で見てみるまで知らないことも多いのだ。

わたしたちは、自分に対しての思い込みによって自分の枠をつくり、その中での現実を体験している。

 

あと、こんなこともあった。

壇珠さんの記事を夢中で読んでいたら、「すっごい顔してるよ!」と指摘され、ハッとして、そのままの顔でスマホのカメラをのぞいた。そして、思わず叫んだ!「ぎゃああああ!!!」そして、おまけにその叫んだ顔を見てますますぞっとした。Σ( ̄□ ̄|||) もう、真剣さ+老眼(強がってまだ老眼鏡は使っていないのでかなり目を細め+眉間にしわが寄る)の世にも醜い顔。

私はいつも夢中になると、こんな顔を人前にさらしていたのか・・・???

 

いつもの意識の使い方で自分を思うだけでは、いつものような感覚から出られないままだ。秘行では、これをひっくり返して外から見ることができる。
「自分で自分を受け入れようと努力すればするほど、受け入れられないことでますます傷つく」ということが多いけれど、外から見ることでその戦い自体を手放すことができる。自分との戦いをやめることで、生きる感覚は大きく変化する。わたしはそこから人生が外に向かって開いていった。

 

ひっくり返して外から見るってすごい!

足を広げて上半身をかがめてその間から世界を見ると世界がひっくり返って見えてびっくりするけど・・・自分もそんなふうにひっくり返っちゃうのかな?

 

本質のわたしたちは、どんな決めつけをも超越した存在だ。「え~~自分だけは違うんじゃ・・」と思ったそこのあなたも、だ。(笑)

自分自身を、その決めつけから出たところから本当に「見る」ことができたときに、自分で自分の存在に驚くことと思う。わたしたちは、普段のわたしたちが「こんなものだろう」と感じているものを越えた、とてつもない存在だ。

 

 

ああ、全然話がズレてました。これはこれはもっともっと素敵なお話でした。

私が前に読んでいた本には、「内省」という言葉がよく出てきたけど、それに通じることなのかな?

人の目は外に向かってついている。だから人のあらはよく見える。キョロキョロまわりにばかり捉われている。その外に向いている目をグッと自分に向けてみる。自分を奥深く深く掘り下げていってみる。「内省」っていうのはそんなイメージ。

 

でも、自分の意識の中でみている限り、まだ本当の自分には出会えないのかな。その意識を超えたところに、とてつもない自分が現れるのかな?なんだかわくわくするな。

 

 

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