真の人と出会って心の解放へ

心の解放へと導いてくれる真の人(本)との出会いの記録。(毎田周一「釈尊にまのあたり」他 聖徳太子・親鸞・宮沢賢治・・・生きてる人も)

自分を好きでいられるために・・・

パソコンに向かって何かを書き始めるとき、私のお尻(?かどこかはわからないけど)には蛍みたいに灯がともる。書いているだけで喜びが湧いてくる。

これをひとつひとつ積み上げていくことが、自分の生きている証のようにさえ感じる。

 

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自分を好きだ、と感じるときというのは、どういうときだろう。多くの人が、自分の特徴をあれこれ愛していて、自分のことを思い浮かべるといい気分で、自分にダメ出しがなくて、自分に合格を出せている・・という感じをイメージするのだと思う。だから、多くの人が、自分を変えてそれに近付こうとする。駄目なところを克服して、理想に近づけようとする。
わたしは、それをとても苦しい、間違ったアプローチだと思うのだ。

 

自分を好きだというのはどういう状態なのか。わたしは、それは自分のその時の環境を好んでいる状態、だと思っている。

 

まさに、私の、自分を好きだと思える環境というのは、ひとりになれる部屋があって、パソコンがあって、自分の思いを綴れるというこの環境のことだなあと思う。これさえあれば、何があっても大丈夫な気がする。書くことですべて浄化されてしまうような・・・

自分を好きになりたければ、環境を整えること。仕事や人間関係や健康状態、いろいろなものを自分の好みに整えること、これが大切だと思う。

 

あとはあれだな~。やっぱりだからといって、ただ毎日毎日パソコンに向かっているだけじゃなんにも出てこないだろうから、自分をいろんなものと出会わせたり、いろんな状況の中に投げ込むことかな~。

ちょっと恐ろしいところへも思い切って投げ込むと、思いがけないことが起こったりする。そこで壁にぶち当たったり、ひどい目にあったりすれば、ますます書きたいことが増えていくわけなので、結果的にはそれも「あり」ということになる。

 

楽しい環境をせっせと作ること。自分への印象なんて相対的だ。それは環境によってコロコロ変わってしまう。だから、それをよく見えるように固定しようとしてもできないのは当然だと思うのだ。逆に、それは流動的だと知っておくと、揺れ動くことに惑わされなくて楽になる。

 

もう、ホント!コロコロ変わってしまうのよ。それをいつもよく見える方によく見える方にもっていこうとすると、とても無理がある。それで疲れちゃう。もうダメだな~と思うときは、「あ~、またやっちゃったね。バカだねえ。ダメだねえ。」って言ってそこに浸る。(愚かな子ほど可愛くなっちゃうことってあるもんだ。)

逆に、なんか思い通りにいっちゃったときは、「おお~なかなかやるねえ~!」って褒めてあげる。そして、「でも、まぐれってこともあるし。」とか、「いい気になるなよ!」とか、釘もさしておく。 

そして、喜んだり悲しんだり怒ったり悩んだり浮かれたり落ち込んだりする自分を、楽しもうと思う。

 

そういうときに挫折してしまいがちなのが、好きな環境にするのにあたって、自分にとってめちゃくちゃなわがままを通さなくてはならないように感じられることや、年齢や性別や経済力や実力や度胸や能力やなんやらかんやらが足りなくて、だから出来っこないと感じること、これらへの挑戦が立ちはだかっているときだ。

 

わたしは、そのほとんどの場合が、幻の崖を見て「怖くて飛び降りられない!」と言っているのと同じだと思う。わたしの場合はいつもそうだった。
そして、もう仕方がないから「男塾、万歳!!」と言って両手を広げて死を覚悟してそこから飛んでみると、そこに崖はなく、あるのは10センチ位の段差だったりする。ひとりで、自作自演だったことに脱力する。泣き笑いながら、バカだった、バカだった~~!と喜ぶ。そんなことがたくさんある。恐怖は本人にとっては本当に恐怖なのだが、同時に幻だ。

 

こういうこともあるな~。

ここのとこ、好きだな~!

「男塾、万歳!!」って両手を広げて死を覚悟して飛んだら、10センチの段差だったって・・・( *´艸`) ( *´艸`) ( *´艸`)

 

ありますよ。そういうこともあります。

 

でも、私の場合思い返すと、逆も結構ある。

10センチくらいの段差を予想して軽く飛んでみたら、すごい崖だった!\(◎o◎)/!

そして、全身打撲。重症。しばらく起き上がれない。

 

こういう経験をしてしまうと、本当に憶病になる。

石橋を叩くじゃないけど、そーっとそーっと覗いてみて、つま先をのばしてチョンチョン・・・てつついてみて、大丈夫か?段差はないか?まさかその先崖じゃないよね?落とし穴とか・・・ないよね?大丈夫だよね?みたいに、慎重に慎重になる。

もう疑い深くなっているから、どんなに大丈夫と言われても、う~ん、でもやっぱやめとく。となってしまったりする。

 

でも、それも充分に充分に味わうと、なんだかつまらなくなってくる。情けなくなってくる。そして、落ちてもちゃんと着地できるように手を打ち始めたりとか、落ちたときに自分を守るための言い訳を考えたりとか・・・。

 

そして、それもやりすぎると、自分がとてもいやらしい人間に思えてくる。ダサいな。カッコ悪いな。と思う。そして、もっとカッコよくなりたい~!と思い始めて、やっぱり一番かっこいいのは、行きたい!と思ったら、いろいろ言わず、なりふりかまわず、GO!!!っていっちゃうことだなって思う。

 

そして、GO!!!した場合・・・

 

10センチの段差だったら、思い切り笑う。ミユさんみたいに、自分の妄想加減にあきれて、「バカだった~バカだった~」って泣き笑いする。

 

崖から落ちて、大けがしたら、う、う、う~~~と唸りながら、「これでまたひとつ勲章が増えた!」とほくそ笑む。

 

崖でもうまく着地できたら、「すばらしい!すばらしい!お見事!よくやった!」と、拍手喝さいする。

 

 でも・・・

 

結局、「やっぱり無理!」ってなって、しっぽを巻いて逃げる。そして、安全地帯に身を隠す。

・・・なんてこともあるな。・・・うん、あるある。( *´艸`)

 

 

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