ただ我慢したり、努力したりして、悟ろうとするんじゃない
これは静かな人の自然な姿
~杖を取り上げるものの経より⑦~
941-7
静かな人は 穏やかに 誠を尽くし
心豊かに 人を謗らぬ人であり
怒りを離れ 貪りの禍いと利己心とを
こえた人でなければならない
942-8
一切の煩いを除こうと思うなら
眠りと無精と
迂闊に時を過ごすこととに打克って
ふしだらな様子と思い上がった態度とを
捨てるがよい
943-9
嘘をつかず
形あるものに執着せず
思い上がる心を隅々まで究めて
決して暴力を用いぬようにするがよい
これは悟った人の
具体的な姿が示されている。
こういうのを読むと、
自分の姿をこれに近づけようと
ただ努力をしたり、我慢をしたりして、
それによって、
自分がだんだん立派になっていくような
錯覚をしてしまうことがある。
それは、全く自力のことだと、
毎田先生は指摘される。
何かを獲得していくんじゃない。
自分が捉われていることを、
どんどん手放していって、
「無」の人になることが
解放へ向かうことだ。
そうすれば、
自然とここに書かれているような姿になるんだな。
この中のひとつでも、
自分にないことを知れば
それが自覚なんだな。
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