真の人と出会って心の解放へ

心の解放へと導いてくれる真の人(本)との出会いの記録。(毎田周一「釈尊にまのあたり」他 聖徳太子・親鸞・宮沢賢治・・・生きてる人も)

世間の常識とはまるで反対! 幸せのもとと不幸のもととは?

「よりどころ」こそが不幸のもと?

~スッタニパータ・ダニアの経より⑩~

 

不幸のどん底から、

新しい人生のスタートを切ったダニア。

 

このダニアの経には、

最後に二つのガーターが付け加えられている。

 

世間の立場を悪魔の言葉として・・・

真理の立場をお釈迦様の言葉として・・・

 

もう、これを残してくださった人の思いが、

切々と伝わってきます。

 

33-16

子を持つものは子ゆえに喜ぶ    

          と罪そのものの悪魔はいった

牛を持つものは同じく牛ゆえに喜ぶ

拠りどころこそ人の喜びである

拠りどころをもたないものに喜びはない

 

34-17

子を持つものは子ゆえに悲しむ    

       と世尊はいわれた

牛をもつものは同じく牛ゆえに悲しむ

拠りどころこそ人の悲しみである

拠りどころを持たないものに悲しみはない

 

これは、本当に慎重に読まないと、

誤解されちゃう気がする。

 

真意を読まないと・・・

 

「じゃあ、家族も財産も捨てればいいんですね?」

「はい!捨てました!」

「どうしてくれる?お釈迦様の言う通りにしたら、

  こんなに不幸になっちゃったじゃん!」

なんていう人が出てきかねない。

 

お釈迦様は、人々の苦しみのもとがどこにあるのか、

じっと見つめてこられた。

 

そして、どうしたら、そこから解放されるかを、

何年も何年もかけて、

乞食の生活をしながら、

考えてこられたんだな。

 

決して「財産も家族も捨てなさい」とおっしゃるんじゃない。

 

本来、人の人生を豊かにするためであるはずの、

家族や財産が、

それに執着するあまり、

不幸のもとになりかねないことを指摘されるんじゃないのかな。

 

現に、家族をめぐって、

財産をめぐって、

争いはあちこちで起きている。

 

なにかを所有したり、

支配したりしようとする、

欲望によって、

争い、苦しむ人たちは後を絶たない。

 

いつの時代も・・・。

 

お釈迦様の体現された「無」っていうのは、

「なんにもしない」とか、

「全部捨てる」とかいうことより、

「ありのまま」

「なすがまま」

楽しみだけでなく、

苦しみも苦しみとして、

悲しみも悲しみとして、

楽しまれることなのかな。

 

まだまだ語りたい。

ダニアの経・・・  

 

ダニアの経①へ↓ 

yumbe2525.hatenablog.com

 

 

☆彡書店開いています!☆彡

 

☆彡 もうひとつブログ☆彡