真の人と出会って心の解放へ

心の解放へと導いてくれる真の人(本)との出会いの記録。(毎田周一「釈尊にまのあたり」他 聖徳太子・親鸞・宮沢賢治・・・生きてる人も)

「良き妻」という条件つきの幸せは本当の幸せ?そこから解放された心とは?

条件つきの幸せと条件なしの幸せ

~スッタニパータ・ダニアの経より④~

 

「良き妻」を誇るダニアに対してお釈迦様は?

 

22-5

私の妻は忠実でみだらではない  

     と牛飼ダニアはいった

長い月日を共に住んでまことに好ましく

よからぬ噂など一つもきいたことがない

さあもしも降らそうと思うなら 

神よ雨を降らせるがよい

 

23-6

私の「心」は 忠実で解放されている  

         と世尊はいわれた

長い年月をよく養われ調えられて

道を外れようにも外れようがない

さあもしも降らそうと思うなら 

神よ雨を降らせるがよい

 

私たちは幸せの条件を

外に求めちゃう。

 

他人を当てにして、

その条件によって、左右される幸せ。

 

ダニアのように。

 

 

お釈迦様の幸せの条件は

外にはなくて、

ただ解放された

真理に忠実な心

 

例えば、乞食のお釈迦様が、

食べる物を与えられなくても、

ただそれをしのぐだけ。

 

そのために、誰かを恨んで、

不幸だと嘆くこともない。

 

与えられても、与えられなくても、

ただそれを

真理として受け止めて

従うだけ。

 

良き妻に支えられて、

辛うじて保たれているダニアの幸せとは、

全然幸せの安定感がちがう。

 

その解放された心っていうのは、

長い年月をかけて、

真理によって育てられてきたんだな。

 

もう、真理に従う以外に、

本当の平安はないと悟られたお釈迦様は、

ただただ目の前の真理とひとつになってゆかれた。

 

 

条件によって縛られた幸せではなくて、

ただ真理の道を自由な解放された心で、

力強く、楽しく、豊かに

生きてこられたんだな。

 

 

このあとも次々とダニアは自分の幸せの条件を誇る。

 

つづき↓ 

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