真の人と出会って心の解放へ

心の解放へと導いてくれる真の人(本)との出会いの記録。(毎田周一「釈尊にまのあたり」他 聖徳太子・親鸞・宮沢賢治・・・生きてる人も)

本当の自由人は、不思議な光みたいな人? スッタニパータに出てくるよ!

「こういう人」だなんて、誰も言えないような人?

~スッタニパータ・大きい堆積の経より~

 

本当の自由人って、どんな人?

 

だれにも支配されない、

どんなことにも捉われない。

すべての束縛から、解放されている

真の自由の人って・・・?

 

そういう人って、どのくらいいるのかな~?

めったにはいないけど、きっとどこかにいるんだな。

会ってみたいな~!

 

でも、

「あ、この人だ!」ってわかるには、

自分も、自覚者を目指さないと・・・

 

よし、きょうも、勉強しよう! !(^^)!

 

911-17

真に自在の城に達した人を 

その人はこういう人だと

誰もいうことは出来ない

彼は自分の考え方などに捉われず 

知識をもって廻りもしない

一般世俗のものの抱く意見も

よく承知しているが

ひとはそれにとりついていても 

彼はそんなものに目もくれない

 

本当の自由人、たとえば、お釈迦様を、

「お釈迦様とは、こういう人だ。」なんて、

わかったような顔をして、言ってみても、

きっと、み~んな検討が狂っているんだな。

 

そんな限定はできない人が、

本当の自由人なんだな。

 

自分の考えを、もってまわられず、

そんなことをひけらかしたりもしない。

 

 

毎田先生も言われます。

 

智慧あるごとき顔を、世人の前に示す人など、

自在の人ではない。」と・・・

 

 

そして、世間一般の人たちがもつ、意見というものも、

よくご存じでありながら、

それは、束縛の見解でしかないと・・・

それに捉われることもないのですね。

 

 

そして・・・

うわあ~、毎田先生の解説、ぐさぐさ来る! 

(>_<) (>_<) (>_<)

そのまま載せちゃお!

 

邪見驕慢の悪衆生の抱く

見解・意見、主張・思想・主義などの、

一つだに、一片さえ、とり上げるものはない。

 

この悪衆生としての世人が、

その限局された、

主観的・一面的な立場を主張して、

互いに軋み合い、争い合って、

いつも不安にとりつかれていても、

 

その直中にありつつ、静かな人は、

遥かなる出世間、

超絶界の空気を呼吸して居られる。

 

ですって! \(◎o◎)/!

 

本当の自由人になられた方は、

こんな毒々しい世間にいても、

 

穏やかに、優しく、豊かに、輝いておられる、

きっと、不思議な光みたいな方なんですね?

 

 きっと、接しただけで、

穏やかな光にパーッと包まれてしまうような・・・

そして、気持ちをふわっと軽くしてくれるような・・・

そんな方なんだろうな~ (*^_^*)

 

あ~会ってみたい~!!! \(^o^)/

 

 

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