真の人と出会って心の解放へ

心の解放へと導いてくれる真の人(本)との出会いの記録。(毎田周一「釈尊にまのあたり」他 聖徳太子・親鸞・宮沢賢治・・・生きてる人も)

感じたままに正直に・・・~スッタニパータに描かれた自覚者の姿

感じがすべて?

~スッタニパータ・犀の角の経より~

 

最近、すご~く感心することがある。

 

当たり前にわかっているつもりでいたことばを、

あらためて、辞書やウィキペディアで調べてみると、

 

「ヘエ~!!」

「そういうことだったんだ~!!」

\(◎o◎)/!

ってなることがある。

 

あいまいに捉えていたことを、

明確にして、納得させてくれる。

 

これって誰が書いてるんだろう?すごいな~!

 

で・・・

まず・・・

「直観」を調べました。

 

「推理によらず、直接的・瞬間的に、物事の本質をとらえること。」だって。

(・_・D フムフム

 

「本質」を・・・ね?

 

「これ、私の直観!」('ω')ノ  とか言って、

ただの思い込みってこともあるからな。

 (〃´∪`〃)ゞ

 

ウィキペディアには、いっぱいいっぱい説明があって、

ちょっと理解しきれないんだけど・・・(;'∀')

 

直観っていうのは、本能とはちょっと違うらしい。

経験や知識にも、よるものらしい。

 

やっぱり、経験や知識が浅いうちは、

直観も働かないか~・・・

 

 

あと、「自覚」っていうことばを調べたんだけど、

 

西田幾多郎先生によると、

「自覚」っていうのは、

直観と反省の結合らしい。

 

「直観+反省=自覚」 ってこと?

 

わ~、わかるような、わかんないような・・・

 

とにかく、ウィキペディアってすごいですね!!

 

・・・で、よく、「本来は仏教用語」って書いてある。

 

知らずに普段使っていることばに、

仏教用語っていっぱいあるんだな~

 

「スッタニパータ?なにそれ?」っていう人が多いけど、

知らずに、お釈迦様の恩恵受けてるんだよ!

きっと、みんな!

 

では、きょうは、犀の角の経から、このガーターを・・・

 

63-29

目をじっと下へ向けて うろうろせず

物に対する感じを乱されず 心は清らかに

快楽を求めず 熱情を燃やすことなく

犀の角のようにただ一人歩いてゆこう

 

「目をじっと下に向けて」っていうのは、

キョロキョロと人のようすばかり、うかがってなくて、

じっと、自分に目を向けているんだな。

 

もう、世間のことは、すべてお見通し。

自分の心を見れば、人の心はわかっちゃう。

 

世間のことに捉われて、

あっちへちょろちょろ、こっちへちょろちょろ

振り回されない。

 

いつも直観によって捉えた真理だけを見て、

そこから突き動かされるままに行動しているから、

迷いがないんだ~。

 

物をありのままに見る。

考えると、直観は乱されて、

真理からはずれちゃう。

 

ゲーテ

「感じがすべてだ!」

と言ったそうです。

 

そして、「心清らかに」っていうのは、

感じたままに、正直に、発動してゆく心なんだな。

 

「快楽を求めず」は、与えられるがままだって。

自由の享受だけが、唯一の快楽。

自由人と自由人の交わりがあるだけ。

自分の欲望を満足させるために、

他人をどうこうしようと、かけずりまわらない。

 

ガツガツしないのか。

ゆったりしてるな~。

 

また、毎田先生はおっしゃいます。

人間がなさねばならぬことなど、

この世に一つもないって (*_*; 

 

すべて任せておけば、真理によってなされていく。

 

必要なのは、ただただ直観なんですね。

 

もしかして・・・

 

その直観を養うために、毎日修行しているのかな?

 

 

☆彡書店開いています!☆彡

 

☆彡 もうひとつブログ☆彡