真の人と出会って心の解放へ

心の解放へと導いてくれる真の人(本)との出会いの記録。(毎田周一「釈尊にまのあたり」他 聖徳太子・親鸞・宮沢賢治・・・生きてる人も)

小さな「面白そう!」の連続でいつのまにか遠くへいっちゃう

今日ふと読んでいた本に、こんなことが書かれていた。

 

私たちには、常に真理の声が呼びかけている。

それは、「お前は人間の知恵によって世界を作って、それがいいと思っているかもしれないけど、その殻から出たところに、もっともっと広い大きないのちの世界があるんだぞ!それに早く気づいて出てきなさい!」と言っている。

その声と言うのは、人間の一番深いところから出てくる願いの声で、声なき声だから、なかなか聞こえない。気づかない。

 

私は思った。そうか、それをわかるように、聞こえるように、賢者と言われる人たちが、文学にしたり、芸術にしたり、音楽にしたり、映画にしたりして伝えてくれているのかな?と。

そして、そのお宝に気づき始めた人は、目の色が変わる。キラキラし出す。そして、次から次へと発見する。

「あ、あそこにも!」「あ、そこにも!」「へえ~これもそうだったのか~?!」と、今まで知らずに触れていたものも、輝いて見えるようになる。

磁石にひかれてくっつくと、ただの錆びたくぎにも磁力が働き、次々とくぎがくっついてくる。という例え話があった。

そうか、そのお宝を発見して、「このすごい力は一体何なんだ?!」ってなって、そこに感動が生まれて引き寄せられて、夢中になっていくうちに、自分も光を帯びてくるんだな。

なんか、こういうことをまさに今私は体験している気がする。°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°

 

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子供だった頃を思い出すと、なにかに夢中になってばかりいたのを思い出す。子供というのは、とにかくなんでも一生懸命にやる。むしろ一生懸命になれることしかしない。やりたくないことには見向きもしない。そうやって一生懸命に何かをしている子供を、努力しているとは言わない。たとえばただ完成させたくて、ただ上達したくて、ただ達成したくて、何かをしているのが子供だ。小さな子供から夢中になっているものを取り上げてしまうと、ぎゃあぎゃあ泣く。

 

大人にもいるよな~。ただただやりたくて夢中でやっていることを取り上げられたら、ぎゃあぎゃあ騒ぐ人。

 

すべての事象はそこに意味づけなどなく、ニュートラルなものだ。だから、子供はレゴや作業自体が好きなのではなくて、ゴールに達した時の感覚が好きなのだと思う。やったー、できた!!!の達成感、それが欲しくてレゴに触っている。レゴを愛しているからではないのだと思う。

 

もちろんそのあと、長年レゴに触り続けたら、そこには技術の向上が伴って、いい思い出も蓄積して、上達によりさらなる作品へのイマジネーションも湧いて、レゴそのものを見たり触ったりしただけでそれらが立ち上がって喜びを得ることはあると思う。そのとき人は、レゴを通したその感覚を愛しているのだと思う。人は、慣れ親しんだものを愛する。でも、そんな人にとってですら、片付けるために積めと言われたら、それは作品を創るのに比べたらずっとつまらない作業だと思うのだ。つまり、レゴを積む作業自体はニュートラルなもので、その人がレゴ積みに深い意味付けをしているだけなのだ。

 

なあるほど!じゃあ、深い意味付けができれば、なんだって楽しく夢中になってやれるということかな?つまらなくて、めんどくさくて、やだなあ~と思う作業・・・たとえば草取りとかも、ここまで3分で取ろう!そうしたら、チョコレート1個食べよう!とか、草むらの中に迷路をつくろう!(全然深い意味付けになってないけど)とかすれば、それだけで夢中になれることもあるかも。

 

意外かもしれないが、なにか大きなことを成し遂げる人は、最初からそれに向かっていたわけではない人が多いらしい。はじめから大きな目標を掲げてなどいないのだそうだ!それよりも、すぐに飛びついて始められる「今の自分が持っていないちょっと先の未知のゴール」に向かって夢中で進み、そこに到達して達成感を味わい、そこでまたちょっと先の未知のゴールに向かって飛びつく、ということの繰り返しをする人が多いのだそう。それをするうちに、気づけば始めたころには思いもしなかったようなところまで届いていた、という実感なのだそうだ。

 

いいですね~!こういうの。

わくわくして夢中になって何かに飛びついていると、また未知の世界がやってきて、またそれに飛びついて・・・って繰り返しているうちに、自分の毎日がなんか、今までと違ってきたぞ?!ってなって、これを積み重ねていったら、本当に、何か月後、何年後かには、思いもよらないところへ行っているかもしれない。

 

ということは、まとめてみると、好きなことかどうか、というのもどうでもよく、大きな目標に向かわずともよく、ただまずは「面白そう!」「それ欲しい!」と感じるゴールに向かって小さく達成し続ければ、ふと振り返ったときに、思えば遠くへ来たもんだ・・・となるということだ。

 

これは、いろ~んなことに応用できるな。そしたら、人生は、小刻みの「面白そう!」「これならできそう!」「やってみたい!」「楽しい!」「つい夢中になっちゃった!」の連続になる。うん、これって最高!

そして、気づいたら「思えば遠くへきたもんだ・・・」ってなっちゃうんだから。

 

 

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