真の人と出会って心の解放へ

心の解放へと導いてくれる真の人(本)との出会いの記録。(毎田周一「釈尊にまのあたり」他 聖徳太子・親鸞・宮沢賢治・・・生きてる人も)

苦しみを超えて清らかになるために、スッタニパータを開く

外に向いている目を、グッと自分に向ける

~スッタニパータ・森に住む者の経より~

 

きょうは、なるべくあっさりと・・・ いけるかな~? 

 

森に住む者の経 からです。

 

森に住む者の疑問は・・・?

 

「苦しみを超えて、清らかになりた~い!

どうしたらなれるの?」

 

183-3

「どうしたら盲目の命の大河を渡り 

またその大海を渡ることができるのでしょうか

どうしたら苦しみをこえて 

清らかになるのでしょうか」

 

それに対するお釈迦様の応えは・・・?

 

184-4

「信ずることによって大河を 

よく思うことによって大海を 

渡ることができる

努力して苦しみをこえ 

智慧を得て清らかになることができる」

 

「とにかく、すぐに外に向いてしまう目を、

グッと自分に向けるんだよ。」

(あ~、ざっくりとらえたな~!)

 

でも、これいい! 

私は好き!  (*^_^*)

 

 

「信じる」とか、「よく思う」っていうのは、

内省のことなんだな。

 

 

そして、そこに(自分の中に)あるものを、

じっと見つめて考える。

 

「どうして、いらいらしてるんだろう?」とか、

「どうして、ざわざわしているんだろう?」とか・・・

 

それを、つきつめていくと・・・?

 

「あっ!そうか~」 💡

 

何かのせいや、誰かのせいにしてたけど、

それって、結局は、

 

自分じゃん!ってなる。

 

苦しみを超えるための努力っていうのは・・・?

「真理を求めて止まないこと」

 

清らかになるための智慧とは・・・?

「自分の中にある、捉われや欲望に気づいて、

懺悔すること」

 

これは、自分に目を向けない限り、起こらない。

 

やっぱり、この時間が必要だ! 私には・・・

 

放っておくと、すぐに目が外に向いて、

いろんなことに捉われて、

自分が正しくなって、

すぐに世の中を批判し始めちゃう。

 

それなのに、それなのに、私の神様(真理)というものは、

 

「お前は、いったい、何度言ったらわかるんだ?!」

「もう、めんどうみきれない!!」

なんて、怒ったり、投げ出したりしないで、

 

毎日毎日、何度でも何度でも、

ていねいにていねいに、

働きかけてくれる。

 

そして、それが、

真理を求めて止まない努力を、

引き起こさせてくれる。

 

それが、苦しみを超えさせようとしてくれる。

清らかさに至らしめようとしてくれる。

 

だから、私は、毎日スッタニパータを開くんだな。

 

「求道すでに道である。」  by 宮沢賢治

 

 

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