真の人と出会って心の解放へ

心の解放へと導いてくれる真の人(本)との出会いの記録。(毎田周一「釈尊にまのあたり」他 聖徳太子・親鸞・宮沢賢治・・・生きてる人も)

真理を捨てたりつかんだり・・・その迷いはどこからくるの?

このふたつにさえ、気づくことができれば・・・

~スッタニパータ・曲がった心の八つの経より~

 

「曲がった心」っていうのは、偏見のこと。

 

そもそも、このスッタニパータに出会うまでは、

自分の心が曲がっていることにさえ、

気づきもしなかったけど・・・

 

そしてまた、世間にもどると、

いつのまにか曲がってるし・・・

 

だから、毎日、スッタニパータに触れないと、

どんどん曲がっていっちゃうのだ。

 

こまったもんだね~😱

 

 

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自分がどんなに物事に捉われているかを知り

自分の考えでは駄目だと気づくのは実に難しい

だから人は自分の立場にこだわって 

真理を捨てたりつかんだりする

 

とっても、すっきり、シンプルなガーターで、好きだな~

 

この、ふたつのことに気づくことが、「信」なんだって!

 

一つ目は・・・自分が、どんなに物事に捉われているか

二つ目は・・・自分の考えでは、ダメだということ

 

このふたつに気づくことが、とってもとってもと~っても、難しい。

 

気づいたかと思うと、また、すぐ忘れる。

 

そして、迷う。

 

真理を捨てたり、つかんだり、捨てたり、つかんだり・・・そのくり返し・・・

 

「物事に捉われる」ということの裏には、

必ず貪欲があるそうです。

 

そして、自分の考えや立場にしがみついて、

 

世界が、現実が、それでは、割り切れない動きをしているのに、

 

どうしても、ど~うしても、

その自分の考えや、立場を、

手放すことができない。

 

そして、

「どうしてこうなるの~?」

と、嘆く (´;ω;`)

 

でも、これは、止むを得ない人間の姿なんだな。

 

こんな、主観的な立場では、

真理をつかむことなんて、できっこないと。

 

だから、つかんだかと思えば、捨てて、

捨てたかと思えば、またつかむ。

 

正に迷いの姿。

 

図星です!

 

本当に、本当は、なんにもわからない。

 

なにが正しいんだか、なにが真実なんだか、

すぐにわからなくなっちゃう。

 

あっちへうろちょろ、こっちへうろちょろ・・・

 

もう、自分のせまい考えじゃあ、どうしようもないと、

 

「お手上げです!」と、

「なんにもわかりません!」と、

 

ぜ~んぶかなぐり捨てて、自分をそのまま投げ出せば、

 

真理は、そっくりそのまま、受け止めてくれるんだな。

 

真理に身を委ねていけば、

もう、することなすこと、

真理として働くようになるのかな?

 

 

すぐ、忘れちゃうから、合言葉にして、

もう一回復習しよう!

 

「スポッ!!」・・・捉われをはずす音

「ポイッ!」・・・・自分のせまい考えを捨てる音

 

 

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