真の人と出会って心の解放へ

心の解放へと導いてくれる真の人(本)との出会いの記録。(毎田周一「釈尊にまのあたり」他 聖徳太子・親鸞・宮沢賢治・・・生きてる人も)

欲望ってそんなに恐ろしいものなの? なるほど!スッタニパータ

欲望に支配されるのは、こわれた船に水が入ってくるようなもの 

~スッタニパータ 欲望の経より~

 

これは、なんとなくどこかで気づいているというか、

感じていることだから、

「びっくり!」というよりは、

「なるほど!」だな~

では、欲望の経 より紹介します。

 

769-4

田畑と敷地と黄金と 

あるいは牛馬や奴隷や召使いや

婦人や親戚など 

様々のものを無闇に欲しがる人は

 

770-5

その欲望に支配されて無力となり 

困難にぶつかってはそれに踏みにじられ

壊れた船に水が入って来るように 

苦しみが後を追いかけて来る

 

 こわいよ~!こわい!こわい!

 一面的な欲望で頭がいっぱいになって、

 それを何が何でも満たそうとやっきになる。

 

 そのうち、その無理がたたって、

 なにもかもうまくいかなくなる。

 

 それでもまだ、

 そんな自分に気づかずにジタバタしていると・・・

 最悪の事態になる。

 

 壊れた船に入ってくる水を必死でかき出して、

 それでもどんどん浸水してきて・・・

 

 最後は

 

「ギャー!なんでこうなるの~!?」

 

 と悲鳴をあげながら沈んでいく・・・

 

そんな姿を想像して、ぶるん!となりました。 

 

でも、これって2500年も前のインドのお話。

牛とか馬とか奴隷とか・・・なんかピンとこない。

 

もうちょっとピンとくるものに置きかえてみよっと・・・

 

家と財産とお金と 

あるいは車や食べ物や洋服や

恋人や友だちや  

名誉や世間の評判や 

様々のものを無闇に欲しがる人は~

 

うん、どうかな?これならピンとくる。

 

欲望を整理してみよう

771-6

だから人はいつもはっきりした気持ちで 

色々な欲望を避けねばならない

船から水を汲み出すように 

それらの欲望を捨て去り 

盲目の命の流れを渡って 

彼岸へ到達せねばならぬ

 

 毎田先生はあっさりと言われます。

「どうして人はこんなに苦しいのでしょう?」

なんて、とぼけたことを言っているんじゃないよと。

 

自分の欲望を反省してみなさいと。

 

うん、わかりました。

考えてみます。

 

人って欲望のかたまりみたいなものだよね。

「欲望なくせ!」と言われたら、

「人間やめな!」ってことになるよね。

 

でも、放っておくと、

あれも、これも、と貪り出す。

 

それをぜ~んぶ、

はじから満たそうとなんかしてたら、

欲望に振り回されて人生混乱しちゃう!

 

そして、ある欲望に取りつかれて、

それがすべてになっちゃって、

そのかたよったひとつの欲望のことで、

頭がいっぱいになるのが貪欲だって。

 

それは、満たされると陶酔的になるんだけど、

満たされないと、とんでもない苦しみになる。

 

それをスッタニパータでは、

「矢に貫かれたように」(767-2)って言っている。

 

失恋して、何も手につかなくなって、

死にたくなっちゃうとか・・・

 

貪欲でなければ、

この悲しみも乗り越えて、

新しい人生の展開のきっかけにも、

できたりするんだろうな。

 

蛇の頭を踏まないように(768-3)とあるけど、

欲望の恐ろしさを知った人は、

こうやって貪欲を避けていくんだな。

 

やってみるよ。

まずは、欲望に振り回されている自分を横目で見る。

「あ~、また振り回されてる~!バカだな~!」

 

次に、欲望の意義を考えながら、

整理してみる。

 

どうでもいい欲望、

いらない欲望、

欲しがってもどうにもならない欲望は、

船の水をかき出すように、

どんどん捨てる。

 

最後に残った欲望は?

 

どうしても、これだけは捨てられない!

止むに止まれない究極の欲望。

自分が生きる証としての・・・

 

それでうそのようにすっきりとした生活ができるんですって。

 

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