真の人と出会って心の解放へ

心の解放へと導いてくれる真の人(本)との出会いの記録。(毎田周一「釈尊にまのあたり」他 聖徳太子・親鸞・宮沢賢治・・・生きてる人も)

目が覚めるような衝撃の一撃!スッタニパータに徹底的に打ちのめされた~

他人を軽蔑するのは、自分が正しいと認めるから

~スッタニパータ 小さい堆積の経より~

 

スッタニパータを読んでいると

何度も打ちのめされるんだけど、

それでもまたすぐ

いい気になってのぼせ上がっちゃう。

 

そして、

「わたしはすごいことがわかっちゃったぞ!」なんて、

どんどん高ぶってくる。

 

もう、そのことで頭がいっぱいになって、

早く、みんなに見せびらかしたくなる。

 

しかし・・・

このガーターを読んだときの衝撃といったら・・・

 

では、引き続き、小さい堆積の経 から紹介します。

 

887-10

見解とか学問とか徳行とか思想とか 

そういうものに腰をおろして 人を軽蔑し

自分の独断の上に立って 得意げに

『これを知らぬものは 愚か者で 間違っている』といっている

 

888-11

他人を『愚か者』と見るのだから 

自分自身は『正しい』というのである

つまり自分を正しいと認めるから 

他人を軽蔑して そういうことをいうのである

 

889-12

見当の狂ったものの見方をしながら 

自分を完全なものと思い

高ぶってのぼせ上り 

もう心がそれ丈になり

自分をこの世の神聖な第一人者だと自認している

それというのも彼の見方は 

自分にとってそんなにも立派な完全なものだからである

 

毎田先生の解説、第一声はこうです。

「何という厳しい、底を尽くした、明晰な、釈尊の内省であろうか。」

そして、人間というものはこういうものだと。

気づかずして、すでにそうなんだと。

 

まさしく、これを読んでいる自分が

もうすでにこういう状態なんだな。

 

釈尊の内省」ってあるけど、

お釈迦様がこんなにもお見通しなのは、

ご自分の中にそれを経験されたというか、

ふりかえられたというか、

そういうことなのかな?

 

だから、決して、こういう人を軽蔑して

おっしゃるわけではないんだな。

 

ただ、ご自分の中に見てこられた事実をそのままに、

明かされているんだな。

 

お釈迦様は決して人を打ちのめしたりしない。

 

でも、私はそんなお釈迦様に

いつも打ちのめされてしまう。

 

ボケッと、他人事みたいに、

「あ~いるいる、こういう人、どうしようもないよな~」

なんて聞いていると、

 

必ず最後は、

 

「これはお前のことなんだぞ。」

 

ってささやかれてる気がして、

 

・・・もう、穴があったら入りたい・・・ってなる。

 

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