真の人と出会って心の解放へ

心の解放へと導いてくれる真の人(本)との出会いの記録。(毎田周一「釈尊にまのあたり」他 聖徳太子・親鸞・宮沢賢治・・・生きてる人も)

本当に解放された人は、どんな暴力的なものも恐れない

どこまでもまっすぐに、誠心誠意真実のことばで

サーリプッタの経より⑦~

 こんな校長先生(お釈迦様)がいたなんて・・・

お会いしたいです! 

965-11 

異教を奉ずるものをも

恐れてはならない 

たとえ彼らに幾多の

恐るべきもののあるのを見てもー 

そして又善いことを求めて止まぬものは

その他の危難にも

打克ってゆかねばならない

 

異教を奉ずるものとその仕業の例(毎田先生の解説から)

狂言者 迷信者

軍国主義

博徒 やくざ

・暴力主義者

マホメット教徒がインドに入ってきて、左手にコーラン、右手に剣をもって、仏教 寺院と経典を焼き払い、僧徒を追放迫害したこと。

・政治的に国家第一主義をとって、仏教を弾圧するもの。

法然親鸞の流刑

・キリストの処刑

・宗教を民衆の阿片として、これを禁圧する共産主義者

キリスト教の名において起こった十字軍(宗教の名を借りた暴力主義)

 

幾多の恐るべきものとは、上記の人々の思想、行動に見いだされるもの

 

こうした人たちとの接触をも恐れてはならないと言われる。

それ、わたしたち一般市民には無理です!

恐い人がいたら、絶対逃げるもん。

 

でも、命も惜しくないとばかりに、

身も心も投げ出されたら、

それに勝るものはないですね。

きのうの狼のお話みたいに。

 

本当に本当に、この道を究めていけば、

きっとなんの恐れもなくなるんでしょうね。

 

校長先生(お釈迦様)は、

決して口先だけできれいごとを言われることはない。

 

そういうことをさんざん経験されて、

恐れていては、決して解放されないことを悟られたんですね。

 

まさに、どんな人にも、何の恐れもなく、

毅然として、自らつかまれた真理をもって、

力強く彼らを教化して止まれなかった。

 

決して苛立たず、決して攻撃せず、

決して争わず、

しかし、決して媚びず、決して諂わず、

決してごまかさず、

どこまでもどこまでも、まっすぐに、

真実のことばで誠心誠意接せられたのですね。

 

無理やりねじ伏せられるのでなく、

説得されるのでなく、

そんなお姿に、

誰もが最後は、

自然に心を開かれて、ついていったことでしょう。

 

・・・とわたしは思います。

 

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