真の人と出会って心の解放へ

心の解放へと導いてくれる真の人(本)との出会いの記録。(毎田周一「釈尊にまのあたり」他 聖徳太子・親鸞・宮沢賢治・・・生きてる人も)

わかったような顔をして、偉そうにものを言う人こそが、まさに捉われている人?

今これを夢中で読んでいる私たちに向けた言葉

~大きい堆積の経より⑩~

910-16

自分の立場を離れないで論ずる人は

自分で考え出したその考えを 

立派なものと思っているので

その人に本当のことを悟らせるのは難しい

自分のとりついている処にだけ清らかさがあるというように

清らかさを論ずる人は 

そこにだけ本当のことがあると見ているからである

 

911-17

真に自在の城に達した人を 

その人はこういう人だと誰もいうことは出来ない

彼は自分の考え方などに捉われず 

知識をもって廻りもしない

一般世俗のものの抱く意見もよく承知しているが

ひとはそれにとりついていても 

彼はそんなものに目もくれない

 

最初のガーターは、今 正に、

これを読んでいる私たちに向かっておっしゃっているのだと

毎田先生は解説される。

 

ここにこそ真理と智慧と清らかさがあると、

その教えに夢中になって、

それを掴もうとしている私たちに・・・

 

結局私たちにはその真意を本当に理解することは難しい。

 

だからくり返しくり返し

何度も何度もこれらの言葉に触れていくしかない。

 

そして、次のガーターでは、

真の自在の人を、

「こういう人」と固定して言うことはできないと言われる。

 

私たちが勝手に判断して、

「こういう人」と言い表したとしても、

それはみんな見当違いだと。

 

そんな限定することは不可能だと。

 

いかにもわかったような顔をして、

偉そうにものを言う人などは

自在の人ではないと。

 

本当に悟った人は、

自分の考えなんて持って回らず、

そんなことはひけらかしたりしない。

 

世間一般の人が抱くような意見も

承知はしているけど、

そんなただの束縛の見解には

目もくれられないと言われる。

 

 

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