真の人と出会って心の解放へ

心の解放へと導いてくれる真の人(本)との出会いの記録。(毎田周一「釈尊にまのあたり」他 聖徳太子・親鸞・宮沢賢治・・・生きてる人も)

二兎を追える幸せ

夕べは壇珠(ミユ)さんの記事を読みながら、「ここここ!」って思うところを引用したところで、眠さと疲れに襲われて寝てしまった。

そして、朝起きて改めて読み直してみると・・・? 

 

「ちがうでしょ!こっちでしょ!」となって、もう一回引用しなおしたら、見事にすべてが違う場所になっていた!こりゃびっくりだ!ゆうべと今朝でこんなにもちがうなんて!!

 

私は本を読むときに、線を引いたり折り目をつけたりしてしまうのだけど、昔読んだ本を開いて、引いてある線を見て、「そこ?そこなの?」って思って笑っちゃうときがあるけど、そのときそのときで自分の状態によって、感じ方って一様ではないんだなって面白いなって思う。

 

note.mu

 

・・・で、引用しなおした場所はこちらです。↓

「他にもやってみたいことがあったが、そんな事を言っていたら結果を残せないと思ったからひとつに絞って、我慢の人生を歩んでこの結果を得たのだ・・・少年老い易く学成り難し。さらばじゃガク」と死ぬのと、

 

「好きなことをぜんぶやろうとしてあっちもこっちも手を出して、さんざん楽しい思いをしてなにも結果にならなかった、我が人生に一片の悔いなし・・アディオスアミーゴあの世でまた会おうガク」のほうがずっといい気がするからだ。

 

もう、この辺の表現がミユさんらしくて大好き! 全然説教臭くないのに、妙に説得力がある。( *´艸`)

続いてこちらも・・・

 

小物になるのは楽しい。身軽だ。自分を小物だと思うのが楽しい。自分を小物になる場所に置くことは常に自分を新しくし続ける。それは、やることが拡大して影響力を持ったり責任が増えることから逃げるほうがいいという意味ではなくて、いつでも、「やってみたい」と思ったことに小物スタートからチャレンジする身軽さを持っていたいという意味だ。

 

わたしたちは、ついつい追うことを止めてしまうのだと思う。選択肢から無意識のうちに外し、それに気づきもしないのだと思う。ただの好奇心を、ただの興味を。

 

わたしはふと子どもの頃を思い出した。

人前ではまったく自分を表現できないくせに、ひとりになるとよく歌っていた歌を。

 

♪うたは わたしの 友だちだから~ 苦しいときも わたしのみかた 

たったひとりで さみしいけれど こころのうたを みんなのうたに~ 

みんなのうたが まちいっぱいに いつか広がる あしたを信じよう~♪ 

 

チョー古いですが、宇多田ヒカルのお母さん、藤圭子さんをモデルにした「さすらいの太陽」というテレビアニメのエンディングソング♪心のうた♪だった。(今調べて知った!👀)

 

歌はまさに私の友だちだった。歌っているときは、寂しいとか悲しいとか苦しいとか、嫌なことはすべて忘れていた気がする。とにかく歌うことが好きだった。大きくなって音楽を専攻して、試験で歌ったり、演奏会で歌ったり・・・となると、練習が苦しかったり、歌うことが嫌になることもいっぱいあったけど、一回りして、今、やっぱり歌うことはいいなあと思う。今、本当に気楽に小物に戻って、下手でもなんでも、声がかすれようが、ひっくり返ろうが、とにかく歌っていれば幸せだと思う。

 

そして、書くことも好きだな~。誰にも言えないことも、書くことで自分と対話ができる気がする。今こうして毎日自分の中に溢れてくる思いを書くことができる幸せよ!と思う。これが楽しめるのは、小物だからだと思う。これで稼いで生活していかなきゃとか、誰かに認めてもらうためとか、思い始めたら、とたんに楽しくなくなる気がする。この、二大好きなことを毎日存分にできる自分は幸せだな~。「二兎を追う」というほどのもんじゃないけど・・・こんなことを言っていられる自分は気楽なもんだな~と思う。

 

そして、それができるのも、いつも共にあるこちら↓のおかげだ。 

わたしたちが敗者のときだって、いつだってわたしたちから片時も離れず、どんなわたしたちをも受け入れ、理不尽な命令にも従い、それでもわたしたちが前に進めるように助け、元気になるように健康に向かわせ、それを裏切っても文句も言わず、ついにはわたしたちのために病んでも死んでもいいと、わたしたちに身を預けているもの、死をも超越した愛を、わたしたちはひとりひとり持っている。
そう・・・わたしたちのこの身体だ・・・

 

たとえばこの心臓くん・・・

 

    

    心臓くんは

    いつも働いている

    休んだことなど一度もない

    わたしが寝ているときも

    ポケッとテレビを見ているときも

    おしゃべりに夢中になっているときも

    ブーブー文句言っているときも

    うるうるしちゃっているときも

 

    母親のおなかの中にいるときから

    白黒写真の中の幼いあの日も

    ずーっと今に至るまで何十年

    ひたすら休まず

    ドックン ドックン・・・

 

    そうしてときどき

    「もうなにもかもめんどくさい!」なんて

    投げやりなことを言うと

    「そんなこと言うなよ」

    「おれはいつだって君のために必死だぜ」って言う

 

    そんな心臓くんに

    皆勤賞と感謝状を贈ります

  

そして・・・

黙ってついてきてくれる身体のためにも、それから魂のためにも、深い喜びのリラックスを、歓喜の大はしゃぎを、挑戦のドキドキを、病も吹き飛ぶ笑いを、返してあげたいと思う。それを忘れたくないと。

 

本当ですね。黙ってついてきてくれる身体に感謝だ!魂にも・・・いつもいつもありがとう!!深い喜びのリラックスと、歓喜のおおはしゃぎと、挑戦のドキドキと、病も吹き飛ぶ笑いを、私も返してあげたいと思う。

 

 

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