真の人と出会って心の解放へ

心の解放へと導いてくれる真の人(本)との出会いの記録。(毎田周一「釈尊にまのあたり」他 聖徳太子・親鸞・宮沢賢治・・・生きてる人も)

うそがあるなら、そのうそをあらしめているのが真理

 ただ真理の前に跪くことがあるだけ

~小さい堆積の経より⑤~

885-8

「自分を正しいと主張する人が

どうしてそれぞれの真理を説いて 

真理がいくつもあることになるのでしょうか

彼等は多くの真理を 

様々に聞いたのでしょうか

それとも彼等は疑わしい 

根拠もない考えを 

頭の中へ植えつけられているのでしょうか」

 

886-9

「沢山の さまざまな真理のあろう筈がない

いくつもあるのはただ世間で 

永遠の真理だと思っているものが

あるのに過ぎない

人々は色々の根拠のない考えを組み合わせて

『これは真理だ あれは虚偽だ』と

この二つのことを並べていっているのである」

 

真理は人間が考え出したものではない。

 

ただそこにあるもの。

人間をあらしめているもの。

 

うそがあるなら、

そのうそをあらしめているのが真理。

 

うそつきがうそをついているところにこそ

まさにうそつきの真実がある。

 

人によって、摑まれて、

「これは真理だ!」とか

「あっちは偽物だ!」とか言えるものじゃない。

 

無常の真理はそんなふうに掴めない。

 

私たちにできるのは、

ただそこにある真理を直観すること。

ただその真理の前に跪くこと。

 

最後に毎田先生は親鸞聖人をあげて解説される。

 

この世にわろきものは我れ一人と、

自分ただ一人が跪くことが真理である。

他のすべての人、一切衆生は、

この親鸞一人を救わんがために現れて下さった

弥陀の化現と仰がれたのである。

一切衆生如来と仰ぐところ、

そこが真理の世界である。

人を裁いて真理だ虚偽だといい、

そして論争する世界とは、千万里も隔たっている。

 

 

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