真の人と出会って心の解放へ

心の解放へと導いてくれる真の人(本)との出会いの記録。(毎田周一「釈尊にまのあたり」他 聖徳太子・親鸞・宮沢賢治・・・生きてる人も)

真理は対立するものじゃなくて、ひとつに融け合うもの

どんな相手も包み込んでしまう慈悲の姿

~小さい堆積の経より④~

883-6

「一方の人が『まことだ 本当だ』ということを 

外の人は『無意味だ 間違っている』といい 

みなが自分の説にとりついて 

いい争っています

どうして道を修める人達が 

一つのことを一致していわないのでしょうか」

 

884-7

「真理は一つであり 第二のものはないと

本当に知るならば 

それでも尚いい争うことはないだろう

処が彼等は夫々に違ったことを 真理として 

それをめいめいでほめたたえている

だから道を修める人達は 

一つのことを一致していわないのである」

 

真理というのは

一つにつながっている絶対のもの。

 

論争というのは、

あっちとこっちで二手に分かれて争うこと。

 

何かと何かが対している限り、

対立している限り、

一なる真理は体現できない。

 

大きなひとつの真理の大海に

お互い融け合わなければ、

それは体現できない。

 

お互いに自分の立場というものを

立ち上げて対立するんじゃないんだな。

 

一なる真理を体現する人は、

どんな相手も温かく包み込んでしまう。

 

例え相手が自分の立場にしがみついて

凝り固まっていたとしても、

その狭苦しい態度を悲しみ哀れむ。

 

そして

その殻を融かして、

その壁を取り除いて、

広やかな世界へ躍り出ることを

願うはずだと言われる。

 

それこそが慈悲なんですね。

 

 

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