真の人と出会って心の解放へ

心の解放へと導いてくれる真の人(本)との出会いの記録。(毎田周一「釈尊にまのあたり」他 聖徳太子・親鸞・宮沢賢治・・・生きてる人も)

解放しよう解放しようとする教えを、摑もう摑もうとしてしまう人間の捉われ。

ゴールを決めるのも、ゴールを決めちゃダメというのも、結局は捉われ

~闘争と論争の経より⑥~

875-14

「お尋ねしたことを 

本当に明らかにお教え下さったので

更に付け加えてお尋ねしますが 

どうかそれも教えて下さいー

ある賢い人達は 

この世ではここ迄が 

人としての最高の清らかさであるといいますが

それともそれ以外のことを説く人もあるのでしょうか」

 

876-15

「ある賢い人達は 

この世ではここ迄が 

人としての最高の清らかさであるというが

それらのうちのある人達は その外に

一切が無に帰すると巧みに説いて 

そんなことを究極のこととして論ずる

 

 もうもう、どうしても知りたいと、

熱望したことに、

前のガーターで本当にはっきりと、

明らかに教えてもらった。

 

だから、思い残すことはない。

・・・のだけれど・・・

 

世の賢い人たちは、よく、

「ここまで究めれば、もう最高だ」と、

悟りのゴールを示すような言い方をするけど、

そんなゴールみたいなものがあるのですか?

 

それとも、

もっと別の教えを説く人もいるのですか?

 

という質問を最後に付け加えたわけですね?

 

そして、その答えは・・・?

 

「ここまでくれば最高。そこがゴール。」と言ってしまえば、

それはまた、固定。捉われになっちゃう。

 

かといって、

「そんなゴールを固定しちゃダメだ!無にならなくては!」

と巧みに説いて、

これこそが窮極の真理だと主張するのも結局は固定。捉われ。

 

解放しよう、解放しようとするその教えを摑もう摑もうとする捉われ。

 

なんだか罠みたい(+o+)

 

そして、次にいよいよ最後のガーターで、

本当に清らかな人、

真に解放された自由の人の姿が語られる。

 

 

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