真の人と出会って心の解放へ

心の解放へと導いてくれる真の人(本)との出会いの記録。(毎田周一「釈尊にまのあたり」他 聖徳太子・親鸞・宮沢賢治・・・生きてる人も)

苦しみの原因は「思い通りにならない」の「思い」だった。

「思い」は真理を固定する枠みたいなもの

~闘争と論争の経より④~

ここ、すごくすご~く大事なガーターです!!

やっと苦しみの原因が突き止められる。

873-12

「どのように知った者にとって

形がなくなるのでしょうか

楽と苦も亦どうしたら

なくなるのでしょうか 

そのなくなるということを 

ありのままにお教え下さい

『そのことを知りたい』と 

私は熱望して居ります」

 

874-13

「自然に思うように思うのでもなく 

間違って思うのでもなく

それかといって思わないのでもなく 

思いをなくそうとするのでもないー

と丁度このように知るものにとって 

形はなくなる 

何故なら 思いによって 

ありとあらゆる妄想が起こるからである」

 

「形」っていうのは、

人間の「思い」のことなんだな。

 

苦しみの原因になるこの「思い」を

どうしたらなくせるのか知りたい!

そう熱望する修行者に対して、

お釈迦様の答えは・・・?

 

自然に思えばいいというのでもない。

だからといって、

その自然な思いを

無理矢理ねじ曲げて思うのでももちろんない。

そうかといって、

ぼーっとなんにも思わないのがいいわけでもない。

そして、思いをなくそうなくそうとするのでもない

 

つまり・・・

 

「こうでなきゃだめ!」って固定されることは一切ないってことだな。

 

そもそも人間の一切の「思い」というのは、

固定された枠みたいなもの。

 

そして強い「思い」は執着だ。

執着は頑丈な「枠」だ。

 

でも真理というのは

流れているものだから、

決してその枠にはおさまってはいられない。

 

真理がたまたま枠の中におさまっているうちは

満足できても、

真理がその枠から流れ出ていこうとすると、

「思い」という枠は、

それを必死で引き戻そうとする。

 

そこに苦しみが生じる。

 

思いが強ければ強いほど苦しみも大きくなる。

 

でも、そんな思いの枠はただの妄想。

 

このことを知って、

その枠をはずしてしまえばいいんだな。

 

「思い」という枠をはずしてしまえば、もう、

「思い通りにならない。」と嘆かずにすむ。

 

思いを思いに任せることができる。

 

そうすれば苦楽から解放されて自由になれる。

 

 

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