真の人と出会って心の解放へ

心の解放へと導いてくれる真の人(本)との出会いの記録。(毎田周一「釈尊にまのあたり」他 聖徳太子・親鸞・宮沢賢治・・・生きてる人も)

欲望は生命を溺れさせる「水」、世間は足を踏み入れると抜けなくなる苦悩の「泥」

世間と欲望を離れれば、ただ真理を見て生命を讃えるだけになる

~マーガンディヤの経より⑥~

844-10

家の生活を捨ててひとところに定住せず 

思いのままに道を行き

村里の生活に親しみ近づかぬ 静かな人は

色々の欲望を離れて 

世間には目もくれず

ひとと違った説など述べ立てて 

議論する筈がない

 

845-11

何の捉われもなく 

この世を堂々と生きてゆく修道者は

これが自分の説だなどと論ずべきではない

水に生える棘(とげ)のある蓮が 

水にも泥にも汚されぬように

静かな人は安らぎへの道を明かして 

熱情に駆られず 

欲望にも世間にも汚されない 

一言一言、よ~くかみしめてみよう。

本当に本当にすごいことが書いてあるよ~!!!

 

想いのままに流れていく。

「ここ」という決まった場所に留まらない。

 

どんなものにもしばられない自由な心で・・・

 

世間の生活に立ち入らない。

どんな慣習にも巻き込まれない。

世間のことなんかなんにも問題にしない。

 

そんな人が、

自分の説だなんて何かをつかんで

それを主張して、

誰かと言い争うなんてことはありえない。 

 

世間で誰かや何かをあてにして

一生懸命になったり、

思い通りにならないと言って、

嘆いたり、

そういうことも一切ない。

 

毎田先生は例えて言われる。

 

欲望=生命を浸し溺れしめる「水」

世間=足を踏み入れて抜きさしならぬ困惑と困難と苦悩に陥る「泥」

 

この二つは一つで、

欲望は世間の人を相手にするからこそ生まれる。

 

欲望に執着することは世間に執着すること。

欲望から離れるには、世間に目もくれないこと。

 

それでは、彼には何があるのか?

ただ一なる真理の認識と

永遠の生命への讃嘆があるばかりと言われる。

 

ああ、すばらしい!!!

 

 

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