真の人と出会って心の解放へ

心の解放へと導いてくれる真の人(本)との出会いの記録。(毎田周一「釈尊にまのあたり」他 聖徳太子・親鸞・宮沢賢治・・・生きてる人も)

生き方はない! 立場もない! 「・・・として」もない! ではなにをするの?

現実世界の奥の奥までお見通し

~最上のものの八つの経より⑥~

801-6

彼はここでこの世とあの世のどちらにも 

あのようにまたこのように生きたいとは願わない

しかも色々な事をよく見ているので 

それにとりつく立場を何ももってはいない

 

「どう生きたらいいの?」

これがもうすでに、

なにかに取りすがろうとしている姿なんだな。

 

何かをする。

こう生きようと一定の「生き方」にこだわる。

自分の立場にこだわる。

 

限られた人間的な意図から、

限られた知性で考えて、

「こう生きよう」なんて決めつけてしまったら、

目の前の真理を見逃してしまう。

 

自分のせまい考えである、

「こう生きるべき」という枠からはずれたものは、

無意識のうちに排除してしまう。 

 

「色々な事をよく見ている」覚者とは、

現実は、よくよく元を正せば、

人間たちの利己的な欲望や、

偏見に満ちた

自分の都合を優先させた考えが

混ざり合って成り立っているということを、

お見通しということなんだな。

 

そういうものにとりついていく立場をもたない。

そこを超えてしまっている。

 

だから、そういう現実世界の事情をわかった上で、

すべて包み込んでしまうんだな。

 

何もしないようでも、

現実から目を背けているのでなく、

現実に振り回されるのでもなく、

見て見ぬふりをするのでもない。

 

すべてお見通し。

 

現実の奥の奥まで知っているからこそ、

人間的な立場にはいっさい立たれない。

 

 

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