自分の考えが正しいと思うほど、偏見にとらわれている?それが曲がった心
ありのままに見る直観は曲がらない
曲がった心の八つの経からです。
曲がった心っていうのは、
偏見のことなんだな。
780-1
ある人々は曲がった心から意見をいい
又誠実な人でも矢張り意見をいうが
どのみち静かな人は
若し論争が起こっても
それに近づかない
だから静かな人にとっては
どこにいても心がすさむということがない
偏見ていうと、
なんだか特別かたよった考えのように思うけど、
本当は私たちが考えていることって、
みんな偏見なのかな。
自分の考えは正しいと思っているときほど、
この偏見に捉われているってことかな。
ありのままに見る直観は曲がってないけど、
考えるから曲がるんだと。
考えるなってこと?
う~ん、確かに人が考えるのは、
自分の立場に立てこもって、
主観的に、
自分の都合に合わせて、
無意識のうちに、
見たまま感じたままの直観を
ねじ曲げようとしているのかも?
「無我」というのは、
その主観的な考えを捨てて、
ありのままに見るんだな。
論争が起こっても、
それぞれをそれぞれとして、
どちらかにつくこともない。
なんでもそのままに受け容れるんだから、
静かな人(無の人)の心は
荒みようもない。
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