真の人と出会って心の解放へ

心の解放へと導いてくれる真の人(本)との出会いの記録。(毎田周一「釈尊にまのあたり」他 聖徳太子・親鸞・宮沢賢治・・・生きてる人も)

自分の考えが正しいと思うほど、偏見にとらわれている?それが曲がった心

ありのままに見る直観は曲がらない

 

曲がった心の八つの経からです。

 

曲がった心っていうのは、

偏見のことなんだな。

 

 

780-1

ある人々は曲がった心から意見をいい

又誠実な人でも矢張り意見をいうが

どのみち静かな人は 

若し論争が起こっても 

それに近づかない

だから静かな人にとっては 

どこにいても心がすさむということがない

 

偏見ていうと、

なんだか特別かたよった考えのように思うけど、

本当は私たちが考えていることって、

みんな偏見なのかな。

 

自分の考えは正しいと思っているときほど、

この偏見に捉われているってことかな。

 

ありのままに見る直観は曲がってないけど、

考えるから曲がるんだと。

 

考えるなってこと?

 

う~ん、確かに人が考えるのは、

自分の立場に立てこもって、

 

主観的に、

自分の都合に合わせて、

 

無意識のうちに、

見たまま感じたままの直観を

ねじ曲げようとしているのかも?

 

「無我」というのは、

その主観的な考えを捨てて、

ありのままに見るんだな。

 

論争が起こっても、

それぞれをそれぞれとして、

どちらかにつくこともない。

 

なんでもそのままに受け容れるんだから、

静かな人(無の人)の心は

荒みようもない。

 

 

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