真の人と出会って心の解放へ

心の解放へと導いてくれる真の人(本)との出会いの記録。(毎田周一「釈尊にまのあたり」他 聖徳太子・親鸞・宮沢賢治・・・生きてる人も)

自分でよくないと思うことは無常の真理に即さないこと

すっきりあっさり転進する

~洞窟の八つの経より⑦~

難しいです。

これはどういうこと?

 

778-7

相反する事柄のどちらにも身をおかず

「触れる」とはどういうことかをよく知って 

物にとりつかず

自分でよくないと思う事はすっきりと止めて

見たり聞いたりすることに心を惑わされぬ人 

これが賢い人である

 

「相手にしない。」

「同じ土俵に立たない。」

「くっつくとけんかになるから離れる。」

そんなことばが頭をよぎる。

そういうことを言っているのかな?

 

毎田先生の解説を頼りに自分なりに読んでみます。

 

仲の悪い人同士は、いつもけんかごしになる。

相手が自分を否定してくると思い込んでいるから。

 

否定するということは、

相手を相手と認めて、つかんで、依存して、

はじめて否定できるんだな。

 

そんな相手との対立に巻き込まれてしまうと、

もう自由はない。

それを超えたところにしか自由はない。

 

よくないと感じること、

心がどんよりして生き生きしてこないこと、

戸惑い迷って、どうしていいかわからないこと、

なんだかはっきりしないことは、

真理の探究には必要ないこと?

 

そう感じたらすぐにすっきりと止めて、

相手にせず、こだわらず、振り向かず、

真理の世界へ踏み出す。

 

そんなつまらない対立は超えていく。

 

対立するものを見たり聞いたりしても、

惑わされないで、

どっちかの肩を持ったりもしないで、

対立の事実をありのままに見ていく。

 

そういうことかな?

 

ああ、それより、

毎田先生の文章をそのまま載せちゃおう!

 

いつも「一」なる無常の真理の立場に立って、

すっきりとあっさりと転進してゆくもの、

これを賢い人という。

そこから物にとりつかずして

貪欲の根が絶ち切られてゆくのである。

 

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