真の人と出会って心の解放へ

心の解放へと導いてくれる真の人(本)との出会いの記録。(毎田周一「釈尊にまのあたり」他 聖徳太子・親鸞・宮沢賢治・・・生きてる人も)

教師・宮沢賢治さんの熱い想いに打たれて・・・

若き生徒たちにぶつけたレクイエム

 

宮沢賢治さんが、農学校の教師を辞めるときに書かれた、

「生徒諸君に寄せる」の最後の4行です。

 

誰が誰よりどうだとか

誰の仕事がどうしたとか

そんなことを言っているひまがあるのか

さあわれらは一つになって

<以下発見されず>

 

自分の思いをガーーーって書いていて、

突然無念に思って力が落ちることがある。

 

長い長いこの詩が、

ここで切れているのを見て、

そんなことを想像してしまう。

 

そして、私はおこがましくも、

その続きを引き継げることなら

引き継ぎたいという衝動に駆られちゃう。

 

何もわかってはいないのだけど・・・

 

この5行前はこうです。

 

今日の歴史や地史の資料からのみ論ずるならば

われらの祖先乃至はわれらに至るまで

すべての信仰や徳性はただ誤解から生じたとさえ見え

しかも科学はいまだに暗く

われらに自殺と自棄のみをしか保証せぬ

 

そして、「教師 宮沢賢治のしごと」

 著者 畑山博さんの解説から。

 

農学校のまだ若く

理解力もあまり深くはない生徒たちに、

かくも格調高く幽遠な内容を持つ

レクイエムをぶつけた賢治の心を思うと、

私はいつも涙ぐまずにいられなくなる。

 

これを書いたあと、宮沢賢治さんは、

大好きだった農学校教師の仕事を

自分から辞めてしまう。

 

この長い長い詩は、

本当は私には理解できない。

 

でも、熱い想いだけは伝わってくる。

 

著者の畑山博さんみたいに、

私だって涙ぐまずにいられない。(;_;)

 

生徒たちを一人としてないがしろにしないで、

自由な発想で生きた授業をされた宮沢賢治さんは、

生徒たちに慕われながらも、

大好きだったこの仕事をやめてまで、

やろうとしたこと。

 

短い人生をかけてやろうとしたこと。

 

それを知りたい。

 

宮沢賢治もまた、

教科書に出てくる

単なる歴史上の人物ではなくなった。

 

出会ってしまったから。

 

だから、宮沢賢治さんです。

 

 

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