真の人と出会って心の解放へ

心の解放へと導いてくれる真の人(本)との出会いの記録。(毎田周一「釈尊にまのあたり」他 聖徳太子・親鸞・宮沢賢治・・・生きてる人も)

西郷さんとつながった!「残った」というだけで、信頼大の最も古い古典スッタニパータ

西郷隆盛敬天愛人」を知って。

真理ってどんどんつながっていく

 

私は、「100分de名著」というテレビ番組を見て、

もう、わくわくが止まらなくなってしまった! (≧▽≦)

 

西郷隆盛の、儒教の世界観から、

敬天愛人」っていうテーマでやっていたんだけど、

私の中ではスッタニパータと重なることばかり・・・

 

真理を求めていくと、その世界って、

どんどんつながっていくんだな。

 

天から与えられた道を、実践する者には、

災厄はつきもの。

うまくいくかどうかとか、

生きるか死ぬかなんて、どうでもいいこと。

人は、それに心をうばわれがちだけど、

実践しようとしているのは、

そのこと、ものではなくて、

天の道

そこに上手下手も、できないもない。

だから、ひたすら、道を行い、道を楽しみ、

もし、困難や苦しいことに遭ったら、

ますますその道を実践し、

楽しむという心を持つといい。

 

もうこれは、スッタニパータで言われる、

「それを行うのは真理。

成る成らぬにこだわらずに、真理に従え」

っていうことと全くいっしょだ!

って思った。

 

こんなことばも出てきた。

 

人を相手にせず、天を相手にせよ。

それを尽し、人をとがめず、

我が誠の足らざるを尋ぬべし

 

 これだって、

「世間や人を相手にしてないで、真理を見なさい。

目を外に向けるんじゃなくて、自分に向けて、

内省しなさい。」っていう、

スッタニパータの教えと一致する。

 

そして、これ!

生きることと死ぬことは、

二つにわけられないと納得するのが、

疑わないと言うこと。

納得できれば、天理はそこにあって、

行動も発言も

何一つ天理から外れることはない。

一身がそのまま天理になりきる。

 

信を得た人にとっては、生も死も特別なことじゃない。

何も、死さえも、恐れることなく、

ただひたすら真理をゆく、お釈迦様の姿と一致する。

 

司会の伊集院さんの、コメントが、また、いつも鋭い!

たぶん、ご自分は素人の立場で、

直観から言われているんだろうけど・・・

 

「わくわくする。

壮大な宇宙規模でフワ~って引いて見たのが、

自分の中にまた帰ってくるようなイメージ」

(「知行合一」について)

 

「理屈がつかないけど、

何か体の中にあることが、実は天の言っていること。

教わったルールより、そっちが大事!みたいな・・・」

(「到良知」について)

 

そして、番組の終わりの方で、こんなお話に展開した。

 

「時代が混乱すると、人は古典に助けを求める。」

「じゃあ、今、私たちにとっての助けになるものは何?」

 

ここで、私は

「スッタニパータ!」って叫びたくなった。

 

まあ、スッタニパータは出てこなかったんだけど、・・・

 

「大正時代は、そういうものがなくて、

ゲーテを読んだりして、教養から助けを得ようとした。」

っていうコメントがあって、

 

ゲーテ?!」👀

 

って、またまたうれしくなった。

ゲーテのお話は、

毎田先生の本にもよく出てくるから。

つながっている。

 

そして、最後の最後に、

「残った!っていうことへの信頼感ってすごい!!」

「時代の風雪に耐えてきたものにこそ、

ヒントがいっぱいある。」

みたいな話になった。

 

スッタニパータほど、長い長い年月をかけて、

人から人へ、国から国へ、

それこそ、多くの人たちの熱い想いによって、

大事に大事に残されてきた古典があるだろうか?

 

そして、私は、

古典を学びつくされた毎田先生が、

最後に残された、

釈尊にまのあたり」のあとがきを読んで、

いつもいつも胸を熱くします。

 

お前はこの世へ生まれてきて、

そうしてどんなことをしたのか

という問に対して、

ただこのスッタニパータを

世に現わそうとしただけの男である

といわれれば、それで本望なのである。

 

そして、こうして書かずにはいられなくなっちゃう。

 

 

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